人を想う時間
数日間、ひたすら年賀状を書いていました。
年賀の挨拶はメールでいいんじゃないと言う方もたくさんいっしゃると思います。メールであれ年賀状であれ、それぞれのライフスタイルに合わせた形で新年のご挨拶をするのは素敵だなと私は思っています。
リタイヤしてからは、年賀状を書く作業に時間をかけることが出来るようになりました。現役時代はとにかく出さないとと言う義務感にさいなまれて追い立てらるように書いていました。
去年からは、年賀状を送る人たち一人一人に思いを馳せながら、時間を気にせず書いています。
前回届いた年賀状をじっくり眺めて、送ってくれた人の日常や人生を自分なりに噛みしめるのです。これが味わいのある時間です。
家族写真に写っている人の数が増えていたり
お子さんたちの成長ぶりが垣間見れたり
写真が添えられていた年賀状がいつの間にかイラストに変わっていたり
一年一年様々な変化があるのです。
ある人は住所がケアハウスになっていたり
今年で年賀状は卒業しますと言う方もいらっしゃいます。
美術教師をしていらした方の年賀状は、毎年手の込んだ自作の版画でした。それがとても楽しみだったのですが「今年で年賀状は卒業します」
の文字を見て、残念でたまりません。
たった一枚のはがきですが、そこにはそれぞれの人生が詰まっているのです。
その人の今は、仕事に懸命なのか、子育てに忙しいのか、結婚したばかりで幸せいっぱいなのか、親の介護で大変なのか、ゆとりのある毎日なのか、厳しい日々なのか、一枚のはがきに書かれた短い文面から様々な事が読み取れるのです。
年賀状だけで繋がっている人もいます。
私が小学生の頃、家族旅行の船上で偶然知り合った警察官と言う若い男性と、父は長い間年賀状のやり取りをして、父が亡くなるまで一枚の年賀状で繋がっていました。
私も年賀状だけで繋がっている人が数人います。
その一人は新潟県に住む男性です。
愛媛県の五十崎町で毎年開催されている大凧合戦の日に心臓の手術をする子どもの健康を願って出世凧を揚げに来たお父さんです。たった一度だけ取材でお世話になってから20年以上年賀状一枚で繋がっています。
そのお子さんは無事元気で成人しています。毎年の年賀状を見ると、取材させていただいた時のことが鮮明に思い出されます。
だから私は年賀状が好きなのです。
その人と共有した時間を思い出しながら相手の人生に思いを馳せて短いコメントを載せる。この言葉が書けるのは今年だけなんだ。そんな思いで書いています。
私にとって一年に一度の特別な時間が終わりました。
2022年の元旦にはどんな年賀状が届くのでしょう。
人と人のつながりが希薄になってきている中で、年賀状と向き合う時間が私にはとても愛おしいのです。
今年は母が描いた寅と私たち親子のイラストを印刷しました。
届いた方に私たちの元気が伝わると思います。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《私は年賀状を何回も見直すんよ》
「私はあんたの年賀状のイラスト一生懸命に描いたんよ、寅が難しかったんじゃけん」
「お母さんにとって年賀状とは・・・」
「やっぱりその人の顔が蘇ってくるんよ、うれしいねー、年に一回のご挨拶じゃけん、私はええ風習じゃと思うよ、何回も見よるけんねー」
「だんだん、送ってくださる方の数が少なならいね」
「寂しい事よ」
昭和人の私にとっては、メールとはまた違う大切な日本文化だと思います。出来れば続けていきたいです。
それぞれに浮かぶ顔賀状書く
母が私たち親子が年賀状を書く思いを句に詠みました。多くの人がそうだと思います。一枚一枚をじっくりと読み返しながら、懐かしい人の顔を思い出しつつ年賀状を書いているそんな姿です。
母の年賀状はすべて手描きです。文字だけでなくイラストも、一枚一枚描いています。難しいと言う寅の絵を気合で描いていました。私は隣で凄いと思いながら見ていました。
最後までお読みいただいてありがとうございました。たくさんある記事の中から、私たち親子の「やまだのよもだブログ」にたどり着いてご覧いただき心よりお礼申し上げます。この記事が気に入っていただけたらスキを押していただけると励みになります。
また明日お会いしましょう。💗