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再び心を引き締めよう。
令和7年1月13日午後9時19分頃ベッドに横になっていた私は、小さな揺れを感じた。最初は「自分の心臓の鼓動で体が左右に揺れているのかな」と思っていた。しかしすぐさまその微妙な揺れに「南海トラフいよいよか」と思い、防災用のヘルメットを手にして階下で寝ているの母の様子を見に行った。
母はテレビの速報を見ながら「あんた、地震じゃと宮崎で震度5弱らしいよ」と興奮している。「お母さんは揺れたん分かった」と聞くと「私は分からんかったんよ」と言っていた。
それから親子二人テレビの地震情報を食い入るように見ていた。
津波情報が発令され、暫くして南海トラフ臨時情報(調査中)が発表された。「また臨時情報、今は調査中なんか、今回は避難しないといけないのかな」と調査が終了するのをずっと見守っていた。何時間も不安な気持ちで過ごした。
私はその間に備えのチェックをしていた。身の回りに倒れそうなものは無いか、周辺のガラス製品は片付けているか、懐中電灯は身近にあるか、非常持ち出し袋には必要なものが入っているか、水は、非常食はと自分に問いかけていた。
臨時情報調査が終了し、今回の地震が南海トラフの引き金にはならなかったことが分かりほっと胸を撫でおろした。しかし南海トラフ巨大地震は今後30年以内に80%程度の確率で発生すると言われている。いつ来てもおかしくないのだ。これを大きな教訓に改めて日頃の備えをしっかりしておかなければと思って、非常持ち出し袋の再チェックをした。
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また明日お会いしましょう。💗