大切な人に愛を
66歳の私は今でも子どもです。母から見れば私はいつまで経っても子どもなのです。
帰宅が遅い娘を心配して91歳の母が、玄関のライトを点けてくれています。私が帰ってくると「事故にあったりしないで帰ってくるか心配で、仏さんにお線香を上げとったんよ」とほっとした表情の母がいます。
現代社会では、様々な家族のスタイルがあると思いますが、本来は子どもにとって母親や父親の存在はとてもありがたいものです。無償の愛を子どもたちに注いでくれているのですから。
私はふと思いました。
「これまで66年もの長い間お世話になった母に、どれだけの恩返しができているだろうか」と。愛されているからこそ発せられる様々な言葉に「あー、心配されてめんどくさいなー」「そんなに細かい事をとやかく言わなくても大丈夫なのに」「そんなことぐらい分かってますよ」と素直に感謝することを忘れ、親の愛をまっすぐに受け止められない自分がいます。
それは間違いなく親に対する甘えです。
親は子どもに注いだ愛情を返して欲しいとは思っていないでしょうけれど少しでも返さなければと私は66歳になって思っているのです。何だか恥ずかしくなりますが、人とは愚かなものです。でも、今気づいて良かったなと思います。
十数年前に亡くなった父にはその大きな愛に恩返しをすることが出来ませんでした。私が未熟な娘だったからです。母は91歳で元気です。これまで注いでもらった愛情に比べればほんの僅かではありますが、これからは少しでも母に恩返しができると思います。
貰った愛を返すには様々な形があると思います。
お金の援助なのか、優しさを返すのか、自分を飛び越えて孫のコミュニケーションで心を癒すのかその人の立場できっと違ってくるでしょう。
私は少しでも母が快適に過ごせる空間や日常を作ってあげたいと思っています。ほんの少しの気遣いで、その人がより生活しやすい、生きていてよかったと思える環境を作ってあげたいと思っています。
資金など無くても、その人の気持ちに寄り添う思いやりがあれば、その人その人できっと見つかると思います。
一杯のお茶やコーヒーを淹れる、身の回りの掃除をしてあげる、今日も生きていてよかったと思える言葉を掛けてあげる、ほんの少しの優しさを毎日返してあげることで、ささやかでも恩返しができるのかなって思います。
今日は私の不出来を皆さんにお話ししていますが、お世話になった家族に気付いた時から恩返しをすることは自分自身の心を癒すことにもなるのです。
偉そうなことを書いていますが、私は何も出来ていません。だからこれから母をもっともっといたわりたいと思っています。
【毎日がバトル:山田家の女たち】
《私は幸せです。》
夕ご飯を食べ終わったばかりのばあばと。
「分かります、言わんでもねー愛情が、帰ってくる前に電気を着けるんは私が失敗したけんよー、家の前で転んだことがあったけんねー」
「そんなことあったねー」
「私は幸せです」
「お母さんそれは本心・・・」
「ほ・ん・と・う・よ、それは分かるんよ思いやりはねー」
「へー、いっつも何にも言わんのに」
「いちいちは言わんのよ」
母に「私は幸せよ」と言ってもらって少し照れくさくなりました。愛情をお返ししたいと言う思いが少しは伝わっているようです。
【ばあばの俳句】
みそ汁の具ほのぼのと冬日和
幸せを感じる香りは、人様々だと思いますが母は、母はお味噌汁から立ち上る湯気や味噌の香りに幸せを感じてほっとするそうです。大根、人参、キノコ、ジャガイモ、玉ねぎ具沢山のお味噌汁はそれだけでご馳走です。
冬の朝、お味噌汁が食卓に出されると母は「あー、美味しそう,、朝からご馳走じゃあねー」と嬉しそうです。そんな食卓の団らんを詠みました。
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