【娯楽小説】小さな本屋 エクリルエマチエル〈一折目の物語〉エクリルエマチエルの秘密⑦
小さな本屋 エクリルエマチエル
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〈一折目の物語〉
エクリルエマチエルの秘密
① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧
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エクリルエマチエルの秘密⑦
ペルエに説明してもらって、ようやくクータにも、この部屋で本が作られる工程が見えてきました。しかし、それは本の作り方を知っただけ。これからクータはどこでどう働けばいいのでしょう。さっき先輩の小人に「邪魔するな」と言われましたし、たしかにクータはどこにいっても役に立たないのです。クータはもういちど悲しくなって言いました。
「教えてくれて、ありがとうございます。でもぼく、どこでなにをすればいいのか。仕事して手伝いたいけど、何もできないし……」
そのときでした。クータの足もとのほうから、体が跳ねあがるほどの怒鳴り声がしたのです。
「おい!新入り!」
そこにいたのは、さっきクータを怒った先輩の小人でした。
「おまえ、なにサボってるんだ!!」
クータは言いました。
「え、でもさっき邪魔だからすっこんでろって……」
「ばかやろう!だからってサボっていいわけないだろ!早く降りてこい!」
「ひっ!」
クータは戸惑いました。降りなくてはいけないけど怖いし、降りなかったら、もっと怒られるのは明らかです。
そんなクータを横目に見ながら、ペルエはぐびぐび酒を飲み、それから「うひひ」と笑いました。でもそれは、クータを祝福している笑いでした。ペルエはクータの肩に手をかけて言いました。
「ほら。初仕事だぜ」
クータは、はっとしました。ペルエはそんなクータの背中をばしんと叩き、「おめでとう」というかわりに、ぐっと笑いました。
駆け足で下におりたクータにむかって、待ち構えていた先輩の小人は、口をへの字に折り曲げて聞きました。
「紙の裁断はできるか?」
「いいえ」
「糊づけはできるか?」
「いいえ」
「ヤスリは使えるか?」
「いいえ」
先輩はとうとう怒りました。
「なんだ!何もできないじゃないか!そんなら活字でも洗ってろ!」
「ひぃ!」
クータは先輩に突き飛ばされるように、部屋の隅に連れていかれました。そこは印刷の部門の縄張りでしたが、クータが来たのはその壁ぎわ。そこには、水を張った桶が何個もならんでいます。そしてその脇に、金属の活字が山のように積みあがっているのでした。
「これを洗うんだ」
クータは活字というものを初めて間近に見ました。活字ひとつの大きさは、クータの両手にすっぽり乗るかどうかというものです。その大きさや形を何かにたとえるなら、厚切りの食パンくらいのものでしょう。ただ、それはもちろん金属でできていますし、底には「る」とか「月」などの文字が彫られていて、粘りのあるインクで黒く汚れているのでした。
「これが活字か……」
本の文字というものは、この活字によって印刷されていると、クータはさっきペルエに教わりました。しかし、いざ現場に来てみると、その数の多さに驚かされます。
「とんでもない数がありますね」
クータはおもわず呟きました。すると、先輩の小人は、ちょっとうんざりした顔で、
「そうだ。1ページに数百文字あるんだからな。ああやって、みんなで活字を並べて、片っ端から打っていくんだ」
と言って、作業場のほうへ目をやりました。その目線のさきには、大きな紙のうえに活字を並べている小人や、それを巨大なトンカチでカンカン打つ小人がいます。みんな汗だくになりながら、しかし、バネが飛ぶみたいにぴょんぴょん動きまわっているのでした。
先輩は言いました。
「印刷で汚れた活字はまた使う。だから、使い終わった活字をきれいに洗わないといけないんだ。それが、お前の仕事だ」
仕事という言葉に、クータはピッと背すじが伸びました。
「はいっ!わかりました!」
「洗い終えた活字は雑巾でふいて、壁ぎわにひっくり返して並べておくように。それから、洗うのはこれを使うんだ」
そういって、先輩の小人はたわしをひとつ、ポンとクータに渡しました。ちょっと汚れた、どこにでもあるたわしです。ですがクータには、手のうえに乗っけられたそのたわしが、とてもたわしとは思えないくらい、なんだがものすごく重たいもののように感じました。
先輩が去り、クータはさっそく仕事に取りかかります。
「よし!やるぞ!」
活字は山のようにあります。とりあえずクータはそのひとつを持ちあげました。
「おもい!」
クータは両腕が肩からすっぽ抜けるかと思いました。活字は金属の塊ですから、子供からしたら運ぶだけで一大事です。クータは腕をぷるぷるさせながら活字を運び、投げるように活字を桶にいれました。ざぶんと音がして、水が飛びちります。
「つめたい!」
しかし、そんなことは言ってられません。クータは袖をまくりあげると、ぶんぶんと格好よく腕をまわしてから、さっそく活字を洗いはじめます。クータがたわしで活字の硬い表面をなぞると、シャッシャッと心地よい音がしました。そして、冷たい桶の水がさっと黒くなるのです。これはまぎれもなく、インクが落ちている証拠。クータはそれがたのしくて、シャッシャッシャッシャッと得意になって、活字の表面を力いっぱい磨きました。
クータは、字の形もかんがえて、ちゃんとていねいに洗いました。というのも、その文字は「る」だったのです。さいごの丸いところにインクが溜まるであろうことは、名探偵でなくても予想できます。クータはその丸のなかに、たわしの先を突っ込んでぐるぐる回しました。こういう細かいところを知らんぷりする人もいますから、この点、クータの掃除の才能は、どうやら人並みにはあるようです。
「よし!」
活字はきれいになりました。クータはどういうわけか、じぶんまで風呂に入ったような、さっぱりした気分になりました。
クータが洗い終えた活字を桶から取りあげると、活字の角から灰を溶いたような黒っぽい雫がしたたります。それに、ふと見れば、クータの腕も桶に浸けていたところだけ、真っ黒に染まっているのでした。水や腕は汚れましたが、そのぶん活字の表面はぴかぴか鈍い光沢を放って輝いています。クータはそれを雑巾でふいて掃除を完了させると、まるで額に入った絵でも飾るみたいに、壁に「る」を立てかけました。
やっとひとつ洗い終えたクータは「ふぅ」と一息つきました。しかし、積まれた活字の山はまだまだ高く聳えています。クータはそれからも、活字をひとつずつ、どんどん洗っていきました。クータは人間の文字をよく知りません。だからこの活字洗いは、クータにとって文字の勉強になりました。どの活字にも、それがなんと読む文字なのか、小人の言葉で記されていたからです。
文字についてクータがなにより驚いたのは、活字には実にいろいろな種類があるということです。よく見かける「た」とか「す」だけでなく、「歳」とか「闇」みたいな文字もあり、こいつらは形が複雑ですから、洗うのがとても大変でした。それでもクータは、見たことない字をみつけると、なんだか隠された宝を探しあてた気分で爽快でした。「、」の活字を見たときなんて、「なんて変な字だ!」と笑ってしまいました。でも、「、」はたいへん洗いやすくて楽ですから、クータはこの字が好きになりました。
クータは次から次へと出てくる文字を見ながら思いました。
「これが集まって文章になるのか」
先輩の小人は、本の1ページに数百の文字があると言いました。読むときはそんなもの1分もあれば読んでしまいますが、それを印刷するとなると、気が遠くなるほど大変なことです。文字を印刷するのに、活字にインクをつけて並べ、上から金槌で打ち、そしてそれを洗っているなんて、クータは想像したこともありません。クータはその作業の全貌を知って、本作りがいかに途方もないことであるか、その恐ろしさを垣間見た気がしました。
そんなことを考えながら、クータは活字を洗い続けました。いつしか汗がだらだらと垂れてきて、それを腕でぬぐうたび、顔にはインクまじりの水がつきます。クータの顔はいつの間にか真っ黒になってしまいました。
ですが、クータの顔が黒くなるにつれ、だんだん活字は片づいていきます。あんなにうずたかく盛り上がっていた山も、あとは麓に散らばっていた活字がいくつか転がっているだけです。
「よし、あらかた片づいたな」
クータはへとへとに疲れていました。でもクータは、ここで気を緩めてはいけないと思いました。なぜかというと、クータは人間のことわざを知っていたのです。
「百里をいくものは、九十里を半ばとする。終わりが近づいても安心しちゃいけない。さいごのひとつまで気はぬけない!」
そう決意したクータでしたが、そのときふと見えた光景に、我が目を疑いました。印刷場所から数人の小人がこちらへやってきたのですが、彼らはみな、誕生日に食べる十段重ねのホットケーキみたいに、じぶんの頭より高く積みあげられた活字を、両手に持って運んでいるのです。そして彼らはクータの側にがらがらと、その活字を打ち捨てていきます。
「これも洗っといて」
小人たちはそう言い残して去っていきました。クータの側には再び活字の山ができています。活字は印刷に使ったものでしょう。字の面がインクで汚れていました。そしてそれは、今までクータが洗ったのと同じくらいの数があったのです。クータはくらっとして、意識が消えるような気がしました。クータがこれまでに終えた仕事は、ことわざではなく、ほんとうに道半ばだったのでした。
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