荻堂顕 「擬傷の鳥はつかまらない」 感想

 荻堂顕の「擬傷の鳥はつかまらない」という小説を読みました。読んだきっかけは、最新作「ループ・オブ・ザ・コード」の書評で伊藤計劃の名前が出ていたからです。「伊藤計劃再び!」という感じだったので、読もうと思いました。それで、先にデビュー作の方を、図書館で借りてきて読みました。デビュー作で著者の大体の力量は計れると思ったので。

 読んでいて、感じたのは、一人称の使い方です。低いトーンの一人称で、そこだけ取れば伊藤計劃と似ていそうですが、実際には(そんなに似ていないな)と思いました。伊藤計劃よりはもっとエンタメ寄りで、事象の説明もわかりやすく、映像的な作品です。そういう言い方をするなら、伊藤計劃は時間的で、荻堂顕は空間的です。荻堂顕の作品の方が映像化はしやすいと思います。アニメ化や映画化に向いていると感じました。

 私はずーと読んでいって、230pくらいまでは(ああ、こんな感じか)と思いました。確かに、小説としては面白いし、読みやすいし、ミステリ大賞を取った作品らしく、どんでん返しもあります。ただ私の観点からは別に言いたい事もないなと思いました。そんな感じで終わりまで行くんだろうなと思っていました。

 すると、230pを越えたあたりから、嬉しい変化が起こってくれました。こちらが想定していたハードルを、作品が越えていったのです。もしこの終盤がなければ、私はこの感想文を書いていなかったでしょう。なので、感想は主に、著者の意図が現れている終盤に向けられます。

 ※
 主人公(女性)は特殊な能力を持っています。それは「世界に絶望している人間を違う世界へと逃す」という能力です。この能力は、例えば、「シュタインズ・ゲート」的ものと想像してもらってもいいし、最近流行りの異世界転生ものと想像してもらってもいいです。多少の差はあれど、要するに「違う世界・時間軸へと移行する能力」です。

 違う世界へ人が移動するのは何故でしょうか? それは、この世界に嫌気がさしているからです。日本社会の低迷と共に、こうした世界移動、過去改変ものが盛んになったように感じます。

 この作品も、そうした現実世界の醜さ、暴力性を嫌というほど見せつけてきます。出てくるのはヤクザやデリヘルの店長、不法移民の外国人などで、要するに社会のアウトサイダーに焦点が当てられています。

 ちなみに、著者の荻堂顕はまだ二十代で、若いです。藤本タツキの漫画を読んだ時にも同様の事を感じましたが、今の若い世代は、劣化した日本社会を生きざるを得なかったので、精神に傷痕を負っているという印象を受けました。荻堂顕にもそうした雰囲気を感じます。日本文学が文学として成立していたのは、戦争に敗北して、辛い現実を受け入れざるを得なかった環境が大きいと思うので、こうした若い世代の精神的傷痕がいったい何に繋がっていくのか、個人的に楽しみにしています。…趣味の悪い楽しみかもしれませんが。

 さて、そんな風に作品の焦点は社会のアウトサイダーに当てられています。殺人や売春の問題が絡んで、孤独感を感じているキャラクターが何人か出てきます。主人公の女性は「逃し屋」なので、そうした暗い現実に傷を負った人間を違う世界へとどう逃すのか、というのが話の中心になってきます。

 ストーリー説明はこれくらいにしておきます。次には私が(おっ!)と思った点、つまり、私の設定したハードルを作品が越えていった箇所について説明しようと思います。

 ※ここからネタバレあり
 
 私は、作品の途中までは(まあまあよく出来たエンタメ作品)くらいに思っていました。(文学性もなくはないし…)ぐらいの感じでした。ただ、230pあたりを越えたあたりから、著者の意図がはっきり見えてきました。そして著者の意図は、鋭い問題提起を孕んでおり、良い方向へ切り込んでいると感じました。

 それは何かと言えば…「異世界転生もの批判」とでも言えばいいでしょうか。これは異世界転生ものに限らないのですが、要するに、「今この世界を捨てて別の世界で幸福になるのは本当にいい事か?」という問題意識を作者が抱いている、という事です。

 この問題意識は、作品そのものの構造として、作者に意識されています。つまり、小説がそういう構造でなければならないという事が、作者の思想と対応しているという事です。わかりやすく言えば「小説という形でしか表現できないもの」を作者は伝えようとしているという事です。

 主人公は、二人の人間に異世界をくぐらせた後、ある決断をします。この決断は「異世界の使用の放棄」です。要するに、辛い現実に向き合うという事です。著者は、おそらくこのエンディングから逆算して作品のプロットを作ったのでしょう。

 私は主人公の最後の決断が本当に救いかどうか、違和感も持っていますが、今は置いておきます。ただ私は、この作品は、異世界に転生する話をシリアスにしただけの話だと途中まで思っていたので、いい意味で期待が裏切られました。

 作品の構造をもう少し丁寧に言うと、「異世界に人を逃す事ができる」という主人公の超越性ーー現実に対する超越性を、厳しいリアリズムで押し潰すようにできている、という事です。この作品の構造は、作者の思想がなければ不可能です。そして思想とはただ色とりどりの、人とは違う主観的思考を持つ事ではありません。厳しい現実を見つめつつ、それを越えていこうと自分の内部に思考の結晶物を作り上げる事です。

 そういう意味で、この作品は、私の予想を越えていくもので、(読んでよかった)と思いました。もっとも、私はこの作品に対して全肯定ではありません。ただ、著者はまだ二十代と若いので、これから更に成長していく事が予想されます。とりあえず、私としては次作の「ループ・オブ・ザ・コード」を期待して読みたいと思いました。


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