山田アニ

京都在住、編集者

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マガジン

  • 極私的、京都案内。

    京都という街を通して考えたこと

  • 散文集

    フィクションなどの置き場

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“ういきゅう”を食べた私は、死んだ父を少し近くに感じた

9月は父の誕生日があり、そして10月には父の命日がある。父が死んでから10年弱、毎年9月から10月にかけては父のことが頭をよぎる。 父が58歳でガンで亡くなった時、私は35歳だった。父と母は同級生でお互い22歳の時に結婚し、その後私が生まれた時点では母は23歳、父はまだ22歳のままだった。そんな若い親ということもあり、父と自分を同じ年齢で並べて比較するとその状況の違いが大きく、それを考えるのがわりとおもしろかったりする。たとえば今私は44歳だが、父が44歳の時にはその子ども

    • 京都嫌いの妻と、京都に暮らして考えたこと

      「京都のこと、ぜんぜん好きちゃうし。むしろ嫌いやし」 妻と付き合い始めのころ、京都出身の彼女がこんなことを言っていて少々面食らった。 「京都言うても地元は長岡京やけど…」 長岡京は京都市と隣接する場所で、京都や大阪の中心地へのアクセスも良く、京都府版の住みたい街ランキングでも目にしたりする。当時の私は長岡京に対してその程度の知識は持っていたが、実際には訪れたことがなく、妻が言う「京都言うても地元は長岡京やけど…」の意味するところがよくわからなかった。 あとになって理解

      • 黒い町、色づいて今。

        小学生の頃、「自分の町のキャッチコピーを考えよう」という授業があった。 その当時、僕が暮らしていた佐賀県南部の小さな町は、多くの河川が流入する有明海と標高996mの多良岳に囲まれた場所で、海と山以外は何もないような所だった。幅を利かせた山が人々を海側へと追いやり、仕方なく海沿いに家や道を作った人々がひっそりと暮らしている。幼心にそんな印象を抱いていた。 同級生が「自然がいっぱい」「食べ物がおいしい」「人が優しい」といった言葉を出す中、僕のキャッチコピーは「黒い町」だった。

      “ういきゅう”を食べた私は、死んだ父を少し近くに感じた

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