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真夏の嵐山日帰り旅「青紅葉と虚空蔵法輪寺」


大河ドラマ"光る君へ"第35回「中宮の涙」観ました。

ドン・ドン・ドンと断続的な夏の音が窓の外で鳴り響く中、藤原道長による御岳詣が幕を開けました。伊勢神宮も金峰山も今であれば近鉄電車ですぐに行けちゃいます。平安時代に生きた道長・頼通父子が御岳詣で命がけだったことを現代人の我々は本質的に理解出来ません。

昨年、今熊野神社の記事を書くため後白河上皇の熊野詣を調べました。その際に修験道の実態を知りました。役行者えんのぎょうじゃこと役小角えんのおづぬの名は京都検定や祇園祭などでよく見かけるかと存じます。バラエティ番組でお笑い芸人が滝行や火渡りをしてますよね。実はあれ修験道の修行なんです。彼らのリアクション芸を見てるとどれも安全に見えます。しかし実際は修行中に多くの命が失われました。御岳詣がどれほど危険だったかは一条天皇やまひろの反応である程度推察することが出来ます。もし道長があそこで命を落としていたら歴史は大きく変わっていたでしょう。ただ伊周の運命は道長とは関わりのない形で間もなく終わりを迎えます。

御岳詣のアクションシーンを期待していた先週。

まさかまさかのまひろ弟による愛の垣根超え。こんな展開が待っていたなんてまったく想像していませんでしたよ。野宮神社に訪れてようやく斎院と斎宮の違いを理解した私ですが、もしかしたら視聴者の中には斎院と聞いて野宮神社をイメージした方がいらっしゃったかもしれません。野宮神社は伊勢神宮に仕える斎宮の潔斎所で、藤原惟規ふじわらののぶのりが乗り越えたのは斎院潔斎所の塀になります。

あっそうそう。昨年の京都検定二級問題では野宮神社と斎院が共に出題されていました。「路頭の儀」をご覧になられた方なら葵祭のヒロイン・斎王代をお見かけしたことでしょう。ずっと気になっていたんです。ドラマで斎院様は登場されるのかなって。残念ながら今回御本人登場とはなりませんでした。しかしセリフの中にお名前がありましたね。惟規の和歌を褒め称えた選子のぶこ内親王は円融天皇から後一条天皇までの五代五十七年に渡り斎院を務められた大斎院様になります。豊かな教養、お人柄が大変素晴らしく清少納言と紫式部が日記で大絶賛しています。ちなみに斎院の潔斎所に忍び込んで捕まって歌を詠んで許されて大斎院に褒められたエピソードは今昔物語集に収録されています。

それにしても緑色の服を身に纏い逃げ惑う様を見て仮面ライダー龍玄を思い出したのはきっと私だけではないはず。そういや主人公のお姉さんは和泉式部を演じている泉里香さんでしたね。『仮面ライダー鎧武』最終回からちょうど10年が経過しました。そう思うとなんだか感慨深いです。

中宮の涙ということでわたくし思わず貰い泣きをしました。藤原隆家もずっと秘めていた心の内側を兄に伝えて泣いていましたね。身近な人へ想いを口にするってすごく大変で私も似た経験を何度かしたことがあります。恥ずかしいやら情けないやら苦しいやら、いろんな感情が混ざり合って爆発して自分を抑えきれなくて涙がとめどなく溢れてしまうのです。

愛と権力の渦巻く内裏にて次週はどんな騒動が発生するのでしょうか。大河ドラマの感想はこのくらいにして旅の続きにいきますね。


高校の遠足で一度だけ訪れたことがある虚空蔵法輪寺さん。

その時は裏参道から参拝しました。表参道から参拝するのは今回初めてになります。学校行事だったので自由行動というわけにはいかず先生の指定した場所へ行く必要がありました。その一つがここだったんです。学校は予めお寺の許可取りをしていたのでしょうね。生徒たちが真面目にノルマをこなしているか確認するため、境内で先生が金剛力士立像のようにドンと待ち構えていました。当時の私は法輪寺の素晴らしさをまるでわかっていなかったので、高二病特有の気だるさを演出しながら石段を登りきった数十秒後には立ち去っていました。


法輪寺ほうりんじ
真言宗五智教団の京都本山で、713年、元明天皇の勅願により行基が創建した。
829年に、弘法大師(空海)の弟子・道昌どうしょうが中興して、虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつを安置し、874年には伽藍が整えられ、寺号を「葛井寺かずのいでら」から「法輪寺」に改めた。
平安時代には、清少納言の「枕草子」の寺の段において、代表的な寺院として挙げられるなど、多数の参詣で隆盛した。
その後、応仁の乱や蛤御門の変で兵火を受けたが、その都度再興した。
本尊虚空蔵菩薩は、「嵯峨の虚空蔵こくぞうさん」として親しまれ、智恵と福徳を授かるため、数えの十三歳の男女が全国から「十三まいり」に訪れる。
平安時代には、清和天皇が廃針を納めた針堂はりどうを建立したことから、針供養が行われるほか、惟喬親王これたかしんのうの故事により、漆寺うるしでらとしても知られる。また、境内には電気・電波守護の電電宮社でんでんぐうしゃが祀られている。

《京都市の駒札より》

「十三参り・電電宮・針供養・うるしの碑」
「秦氏・木上山葛井寺・行基・法輪寺橋」

法輪寺は京都検定の出題頻度がかなり高い寺院の一つです。覚えるポイントがたくさんあるのでしっかり勉強しなければ正答に導くことはできません。三級はもとより二級受験者も油断したら足を掬われることになります。


右側にある車道を歩いたほうが山門に近いんですけどね。

せっかくなので「轟橋とどろきばし」と呼ばれている石橋を渡ることにしました。左側にちらりと映っている獣魂碑についてはのちほど詳しく解説致します。


©️Googleマップ

昔は轟橋の下を桂川の支流が流れお堀の役割を果たしていたのでしょうね。

嵐山の観光地化が進み旅館やホテルが立ち並ぶようになり、不要となった川が埋められて石橋だけが遺る形になったと思われます。寺社仏閣は古来より修行の場であるとともに砦としても活用されてきました。私の住む近くだと石清水八幡宮が有名で、南北朝の内乱「八幡の戦い」では南朝の後村上天皇と北朝の足利義詮の間でが激しい籠城戦が繰り広げられました。男山八幡の守りは相当固かったそうですよ。法輪寺はというと応仁の乱にて東西軍が門前で激突し罹災。禁門の変では合戦に巻き込まれ二度も戦争で焼かれてしまいました。


轟橋を渡ってすぐのところに石造宝篋印塔が立っていたので由来や由縁を調べてみました。何も見つかりませんでした。

謎の建造物は有名寺院でも稀によくあります。


青紅葉に覆われたこちらの入口は虚空蔵法輪寺の山門になります。


山門をくぐってすぐの右手に電電塔と名付けられた石造宝塔がありました。後ろの壁面にはトーマス・エジソンとハインリヒ・ヘルツのレリーフが飾られています。


電電塔について
電気電波の祖神電電宮が祭祀されている。当法輪寺境内に電電塔を建立し、その発展の基を築かれたエジソン(右)並びにヘルツ(左)の胸額を壁面に飾りその功を顕彰すると共に、広く電気電波の発展隆昌りゅうしょうに貢献された先覚せんかく功労者の霊を慰めるものである。

《法輪寺電電宮護持会》
駒札より引用

エジソンといえば先ほどお話した石清水八幡宮にも、白熱電球実用化の際に八幡の竹が使われたということで肖像画の記念レリーフが建てられています。

日本の偉人は神になって神社で奉られるのがほとんどです。戦国三英傑は皆神様になっていますよね。一方、海外の偉人はというと神様として扱うのではなく肖像画レリーフにして称える形になっています。欧米は一神教のキリスト教文化ですからこのスタイルが最大級の礼賛とされてきたのでしょう。そういえば岡崎公園にもワグネル博士顕彰碑の肖像画レリーフがありましたね。


カエデは秋に見るべきものだとされています。

いやいや、真夏の青紅葉も全然負けてませんよ。私はこっちのほうが好きかな。空いてるし爽やかだから切なくならないし。


こちらは獣魂供養塔になります。表参道の長い石段を登りきった左手にありその左隣には電電宮があります。

轟橋の左側にあった京都獣肉商組合寄贈の獣魂碑は、おそらくこちらの供養塔と対になっているのだと思われます。食肉になった動物の魂を供養するためのものです。私初めて拝見しました。

ここ最近急激にヴィーガンフードが市民権を得つつあります。菜食主義であろうが意識高かろうがそれは個人の自由だから私がどうこう言う資格はありません。しかし主義思想を他人に押し付ける行為は絶対にダメです。動物愛護の究極は人がいなくなることです。でもそんな思想の下で私は死にたくありません。とまぁこんな感じでいくら極論を唱えたところで答えは出てきませんし此処から先は哲学になってしまうのでこのへんで止めておきましょうかね。

私たち人間に限らずすべての動植物は必ず他者に影響を与え続けながら生きています。唯生きるだけでなく何を考えて生きるのか。それが人間の使命でありどの立場であっても動植物に対して感謝すべきであると私は考えます。供養塔の前に立ち私は祈りを捧げました。


電電宮について
電電宮は当法輪寺の鎮守社五社明神の一つである電電明神が奉祀されており、古来電電陰陽融合光源の徳を祖とした鎮守としてあがめられてきた。今日で云う電気電波の祖神が祭祀されている。同宮は幕末の兵火で消失したが、1969年電気電話関連業界の発展と繁栄を新たに祈願する趣旨から、新社殿の再興がなされて今日に至っている。電力、電気電子、電波の発展は人類の生活文化向上に大きく貢献し、世界の平和と繁栄に不可欠なものであり、その祖神を奉祀する電電宮は広く電気、電波関係者より崇敬されている。

《法輪寺電電宮護持会》
駒札より引用

こちらは現代的な神様が祀られている電電宮になります。

実は石清水八幡宮の近くにも現代的な神様が祀られている飛行神社があります。飛行神社の主祭神は神饒速日命ニギハヤヒノミコトで飛行機の神とされています。古来より存在する神様をうまく活用し近現代になって新たに作られたご利益は意外と存在していて水子供養も1970年代頃全国的に広まったと言われています。人の数だけ神様がいるということですね。一神教の考え方に合わせるならば、時空を超えて現代人の悩みも応えてくれる万能の神様といったところでしょうか。


石清水八幡宮ばかりを例に挙げてごめんなさいね。法輪寺との歴史的な接点はないけれど偶然共通点が多いんですよ。

《補足》


え?なんでお寺にヒツジがいるの?

菅原道真公が祀られている天満宮であれば"撫で牛"像を必ず見かけます。馬の像もたくさんありますよね。しかし羊の像は初めて見ました。


『初めて』ばかり言ってますね私。法輪寺はかなり個性的な寺院で本当に初体験ばかりでした。

《補足》


突然ですが皆様は十二支の御守本尊をご存知でしょうか。

私はまったく知りませんでした。十三仏のうち八仏が十二支の守り本尊となっていて、丑年生まれと寅年生まれが虚空菩薩の守護担当になっています。


なるほど。

だから「阿形の寅さん」と「吽形の牛さん」が両脇を固めて本殿を守護しているのですね。そして虚空蔵菩薩の使徒は「羊さん」ということで、先ほどの像も虚空蔵菩薩をお守りしています。


そしてこちらが虚空蔵法輪寺の本堂になります。

1884年に再建されました。修行中なのか堂内から御経の声が聞こえました。声明しょうみょうって人類が生み出した偉大な発明の一つですよね。正直何を言っているのかわかりませんけれどなぜか心に響く素晴らしい宗教音楽です。


本堂の左側に聳えるは多宝塔になります。

1936年に再建されました。爽やかな木々に囲まれて実に見事な朱塗りの塔ですよね。できれば近くで拝見したかったのですが息はぁはぁ汗だらだらの極限状態だったので、石段を登って多宝塔を間近で見る余裕はまったくありませんでした。


こちらは針供養塔になります。

1941年に建立されました。石造宝塔が二基置かれています。なぜ一基ではなく二基なのか。インターネットでググってみたもののその理由はわからず終いでした。清和天皇が廃針を納めた針堂を建立したという由緒からここ法輪寺に建てられました。私は平安時代初期から針供養の風習があったと知り大変驚きました。針は今も昔も生活必需品です。多くの人が使うものなので安易に捨ててしまうと誰かが大怪我を負ってしまいます。日常生活に欠かせないけれどもただ廃棄するのは忍びない、という感謝の思いから針供養という考えが生まれたのでしょうね。


法輪寺では、平安時代より毎年十二月八日に針供養法要を執り行っております。その際、皇室から下賜されたお針を宝塔にお納めしております。

《駒札より》

針供養法要は上記の12月8日と2月8日の年二回開催され、本堂前に御針納箱が設置されて全国各地から廃針が奉納されます。

大きなコンニャクに諸々の色糸をつけた大針を刺して針仕事の技術上達を祈願するほか、読経後に古式装束の織姫が舞い諸芸上達の福を授ける織姫の舞が奉納されます。


グラデーションが実に見事な見下ろしの青紅葉参道。

嵯峨嵐山文華館近くの木々と同じで少し赤みを帯びていました。心が洗われます。


高校遠足以来の再訪。

高二の私は本当にいい加減な参拝をして大変失礼なことを致しました。お詫びを兼ねて今回どうしても法輪寺に訪れたかったんです。


自然に囲まれた山上ということで多少涼しかったもののやはり気温35度の石段は修行並につらかったです。でもそのしんどさを圧倒的に上回る満足感と幸福感が私を包み込みました。帰りの山門をくぐったときに来てよかったという思いでいっぱいになったのです。

虚空蔵法輪寺のご紹介については以上になります。ご精読誠にありがとうございました。五つの目的地を廻り終えて残りは電車に乗るだけとなりました。次回は「真夏の嵐山日帰り旅」最後になります。ぜったい見に来てください。じゃまたね。



今回の旅スポット


参考サイト



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