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歴史めぐりの大阪観光「京街道枚方宿①」
今回ご紹介するのは京街道枚方宿です。
枚方宿は京街道なのか、それとも東海道なのか。意見が分かれる所ですがここでは京街道という表現にします。
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すっかり色褪せている解説板。
これは古いからというよりも日本一を記録する暑さということを示しています。大阪市街の都市熱が淀川を遡り生駒山にぶつかって溜まるからだと言われています。
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豊臣秀吉は、文禄三年から五年にかけて伏見城と大坂城間の水陸交通路の整備を行います。この時、淀川左岸に築かれたのが文禄堤です。のちにこの堤上の道が京街道となり、大坂と京都を最短距離で結ぶ道となりました。江戸時代には、守口・枚方・淀・伏見の4カ所に宿駅が設けられ、淀川の舟運とあいまって、人やモノの往来が盛んでした。
京街道=京阪本線と考えて問題ありません。人の往来が盛んで、立派な二階建て住居が並んでいます。
なぜ二階建てなのか?
ヨーロッパの美しい景観に影響を受けた豊臣秀吉が二階建て建築を推奨したという説があるそうです。そういえば京都の町家もそうなっていますよね。
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皇室の御聖蹟は全国各地で見られますがその一つ、明治天皇御晝餐所の石碑になります。
奥に見えるのは三矢公園、枚方宿本陣跡です。
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枚方宿本陣跡
1785年に枚方宿が幕府の役人に提出した書類によると、約215坪の立派な建物が建っていたようです。本陣は、大名や旗本・幕府役人などが休泊する施設で、原則として一般の旅人は休泊できませんでした。
参勤交代の大名が宿泊するときは、たいそうな物々しさであり、ことに御三家である紀州藩の大名行列は有名で、近郷近在から見物に来る人も多かったそうです。のちに八代将軍となる徳川吉宗も、紀州藩主時代にここ枚方を通りました。
1868年、鳥羽・伏見での敗北によって幕府の影響力は衰えます。すかさず明治新政府は天皇親政をアピールするため、明治天皇の大坂行幸を企てます。そのとき枚方宿本陣は、天皇の休息所にあてられました。戦前に建てられた記念碑が現在も残されています。
最初に明治天皇の石碑を見たとき違和感を覚えました。だって京街道で有名な場所といえば石清水八幡宮くらい。天皇がわざわざ枚方に立ち寄る理由なんてまったくありません。(👈失礼)
しかし解説を見て納得しました。明治新政府によるパフォーマンスで大坂行幸が行なわれたのですね。今でもまったく意味のない政治パフォーマンスってありますよね。
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暑すぎて枚方宿の一番の見どころ、鍵屋資料館の見学を今回見送ることにしました。また機会があれば皆様に紹介したいです。
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全長2mはあるであろうこちらは"妙見宮常夜灯石灯籠"になります。淀川の向こう側、大阪府高槻市三島江浜跡にも同じ名前の灯籠があります。
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妙見宮常夜灯石灯籠
開国の年、1854年に京都・大坂間の往来が増え、社会不安が高まる中、奉納した開運講の人達が天下泰平と枚方宿内の安全を、能勢妙見宮に祈願したものと思われます。
これだけ立派な燈籠が建造できるいうことは、それだけ枚方宿が繁盛していた証拠ですね。今よりもずっと夜が暗かった時代。大坂・京都間を往来する人たちを見守り続けてきたのでしょう。
ここで初めて能勢妙見宮の存在を知りました。伊勢や熊野だけでなく能勢にも枚方・高槻の人たちを魅了する信仰があったのですね。正直驚きました。機会があれば行ってみようと思います。
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打って変わってこちらは昭和の遺物。
タバコ販売といえば今は自販機とコンビニが主流ですが、昔はおばあさんが軒下の小部屋で売ってたんですよ。キオスクや宝くじ売り場をイメージするのが早いかと思います。
志村けんが活躍していた時代のお笑いコントでタバコ屋の設定がありました。今はもう古典や落語でしか触れることの出来ない世界なのかもしれません。
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古街道ということで道幅は1.5車線ほどとなっています。歩く分にはまったく問題はありませんが、商売をする人にとってはかなり不便。車を降りた宅配の人がワゴンで駆けているのを目撃しました。
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北村みそ本家さんです。
京阪百貨店という巨大なライバルが間近にいる中、味噌専門店を営み続けていることは本当に素晴らしい事だと思います。
ひらパー名物の名を借りた菊人形味噌が一番の売りです。ひらかたパークについては全国的に有名なので説明は不要ですね。岡田准一さんありがとう。
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道が広がりました。左手はビオルネという商業施設、右手には公園、小規模の商業ビルが見えます。
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桜といえば枚方のお隣、京都府八幡市の背割堤が有名になりましたが、春には岡本町公園においても枝垂れ桜が花を咲かせます。
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是非皆様に紹介したいものがあるのでビオルネの中に入ります。
さてこちら。
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世にも珍しいエスカレーター。スパイラルエスカレーターと呼ばれているものです。世界で唯一"三菱電機"だけが製造しているんですって。
京街道枚方宿では世界に誇れる日本技術の粋を観ることもできます。
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横断歩道を渡ると幅の狭い昔ながらの道に戻りました。京街道には至る所に道標が見られます。
意外と保存状態がいいんですよね。治安がいいとは言えないエリアではありますが大切に守られてきました。
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墨入れされている石碑もあれば、昔のままとなっているものもあります。人の行き来が多い場所だったからこそ多くの道標が作られたのでしょうね。
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昔の写真を見たことがあるのですが、当時京阪電車は地上を走っていてこのすぐ先に踏切がありました。車の渋滞が酷くなったので早いうちに高架駅となりました。
昔は枚方公園駅が枚方駅で、枚方市駅は枚方東口駅という名称でした。駅名改称の経緯は鹿児島中央駅と非常に似ています。
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昭和の町並みも残っています。そういえば学生時代に丹波屋でみたらし団子をよく買ってたっけな。
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道標が解説版を支えているというナニコレ珍百景。
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枚方市駅東側は現在再開発中。2024年3月末完成予定となっています。東見附まで行きたかった所ですが今回はここまで。
半分ほどしか枚方宿の紹介ができませんでした。今は暑すぎるので落ち着いてから再開したいと思っています。ご精読ありがとうございました。
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