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秋祭り日和と京都旅「伏見城石垣石材と伏見桃山陵大階段」


大河ドラマ"光る君へ"第46回「刀伊の入寇」観ました。

最後に衝撃シーンがありましたね。私はてっきり乙丸が命を落とすのかと思ってヒヤヒヤしていましたよ。だって恋人のために土産の口紅を購入するってまんま死亡フラグでしたもの。さて周明はまひろに何を伝えたかったのでしょう。現時点ではまったく予想がつかないのですごく気になります。


はて?

大宰権帥の藤原隆家に抹茶を振る舞われたまひろに違和感を覚えました。「刀伊の入寇」の1019年はまだ日本でお茶を飲む風習がありません。鎌倉幕府成立頃に臨済宗の開祖・栄西が宋から茶の種を持ち帰ったことでお茶の文化が日本に広まりました。一服一銭の売茶が社寺の門前に並んだのは室町時代からです。つまりまひろはそれらよりずっと前の平安時代にお茶を飲んだことになります。どういうことなんだろ?

よくよく考えてみると栄西は日本にお茶文化を広めた人物であって日本で初めてお茶を飲んだ人ではありません。平安時代にはすでにお茶の存在は知られていたと思われます。日本でお茶といえば紅茶や珈琲と同じ嗜好品という位置づけになっています。一方、中国は今も薬用という考えがあって季節に合わせて飲む種類を変えているそうですよ。ホンマでっかTVで専門家の方がそう仰られていました。大陸からやってきたお茶文化は日本で独自の発展を遂げていきました。茶道が生まれ茶室が会合場所となり茶器は国ひとつ分に相当する報奨の道具になりました。日本とお茶は決して切り離すことができません。


まひろ
「でも物語が人を動かすこともあるやもしれない…。」

小説や映像作品の聖地巡礼がまさにそれですよね。先日錦秋の宇治に行って参りました。『源氏物語宇治十帖』『響け!ユーフォニアム』の舞台として有名でいくつか聖地巡礼をしてきましたよ。物語の舞台になった場所へ自ら赴く行為は、まひろが夫の赴任先であった太宰府や親友さわさんが歌で詠んだ松浦へ訪れたこととに類似しています。実際に自分の目で確かめて同じ空気を感じるのはとても尊いことだと。それが「物語が人を動かす」ということなのでしょうね。

京都検定が間近に控えているにも関わらず私は小説を購入してしまいました。いつか涼宮ハルヒの聖地巡礼もしてみたいんですよね。先日『アナザースカイ』という番組でコスプレイヤーのえなこさんが兵庫県西宮市に訪れていました。たまには西の方にも足を向けてみようかな。


いやはや、残すところあと二話となってしまいました。

次回は京都検定を終えての視聴になります。今年の2級試験テーマ問題は紫式部ですから大幅な減点は避けたいところ。後悔のないよう勉強がんばりますね。


それでは旅の続きに参りたいと思います。



伏見城石垣石材


前回話せなかった明治天皇陵の別の見どころを今回は紹介していきます。


伏見桃山御陵の参道脇に謎の石群を発見しました。


そういえば明治天皇陵って伏見城の本丸跡に作られたものなんですよね。

京都には血天井に門など伏見城の遺構が数多く残されています。石垣も大阪城など他の城に転用されました。


ってことはここに残されているのっていわゆる残念石?

EXPO2025大阪・関西万博で「残念石」がトイレに使われるということで多くの物議を醸しています。否定派が多い中私は肯定派の人間です。なぜなら誰しも残念石を見るため京都府木津川市へ行くことはないからです。日本のトイレはとても清潔でスマホのほうが圧倒的に雑菌が多いと言われてます。禅寺の東司では不浄を清める烏枢沙摩明王うすさまみょうおうが祀られていました。トイレの神様って歌が大流行したことも忘れてはいけません。必ず利用するところなのでこれ以上の晴れ舞台はないと思うのですがどうでしょう。

ちなみに凹んでいるところは石を割るための矢穴跡になります。大阪城築城ではこの矢穴技法が使用されていました。ポツンと置かれていますけれど近世城郭時代の痕跡が残る素晴らしい石群です。


徳川家康が再建した伏見城は1619年に廃城となりました。

その跡地に作られたのがここ伏見桃山陵になります。今ある天守閣は鉄筋コンクリート構造の模擬天守で一昔前に存在した遊園地のランドマークでした。実はお参りしたあと伏見桃山城キャッスルランドの跡地を見る予定だったんです。しかし足が限界を迎えていたので今回は見送ることにしました。



伏見桃山陵 大階段


次にご紹介するのは伏見桃山陵の名物といってもいいでしょう。

大階段です。


上から見た実際の景色はこんな感じ。

木々に覆われているので「絶景かな、絶景かな」と石川五右衛門のように口上を述べることはできません。昭和初期頃までは巨椋池がありました。干拓事業で今は建物が数多く見られます。


足腰の悪い方はご遠慮ください、と言わんばかりの急な傾斜。

近年はこのような昔ながらの階段がどんどんと閉鎖されています。管理者責任にしなくていいと思うんですけどね。子どもの頃はみんな自己責任で済ませてきたわけですし。そんなことを考えながら足をプルプル震わせつつ階段を下りました。


はぁ怖かった。

そういえば出雲大社は創建当時に大階段があったそうなんですよね。もしかしたらそれを再現したかったのかもしれません。


この大階段ってなんかメインの参道ではないっぽいんですよ。

管理事務所とトイレは西側にありますし鉄道駅も西側に集中しているのでわざわざ南側の大階段に回る必要はありません。明治天皇の威厳と威光のために作られた階段と見ていいでしょう。

次回は『秋祭りと京都旅シリーズ』の最終回になります。ぜひ観に来てください。それじゃまたね。



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あとがき


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