【hint.152】あなたは今、誰にとっての「さっきの彼ら」であり、「こっちの彼ら」なんでしょうね?
おはようございます。東京・吉祥寺を拠点として活動している、山田 鷹(やまだ たか)です。
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これまでの僕に何があったのかをわかった上で、優しく接してくれる人がいる。
彼らがいてくれることで、僕たちはまたここから一つずつ頑張ろうって思える。
もう今度こそは、失敗しないぞって思える。
今も自分の状況は大きく変わってはいないけれど、「負けないぞ!」「楽しんでやるんだ!」と、ふとした時に彼らの笑顔や真剣な顔が思い浮かんだりするから助けられることって、たくさんある。
これまでの僕に何があったのかをあまり知らないけれども、優しく接してくれる人もいる。
今の僕に至るまでのことを知ってもらえているワケではないし、必ずしもこれまでのことを知る必要がないと思ってくれているのだろうし、あえて根掘り葉掘り聞き出すこともせずに、ただその一緒にいられる瞬間をいいものにしようと、関わってくれる人たち。
もちろん、全くもって見当違いの言動による関わりを、こっちの彼らはしてくることも実際にあるのだけれども、さっきの彼らよりも勢い良く、無邪気に引っ張り込んでくれる、エネルギーの高いものも多かったりするから、それはそれで、さっきの彼らにはできない関わり方をしてもらえるありがたさもある。
たとえそれが見当違いの関わりかたであったとしても、「あぁ、この人、僕のことを大事に思ってしてくれてるんだなぁ」って感じられるのであれば、もはやどんなことでも良かったりもする(残念なことにそうではないものもやっぱりあるはあるんだけどね)。
昨晩は、「月一活動シリーズ」のひとつ、「原書で学ぶアドラー(原アド)」の活動日だった。
アドラーさん自身が英語で書かれた文章を、メンバーと一緒に読み込んだ内容の中に、「家庭と学校における、子ども教育の役割分担」について触れられている部分があった。
昨晩、読み込んだものをシェアしながら、いろんな意見の交換をしている時には全然そんなことは思わなかったのだけれども、僕がいまこのnoteの最初にあげた「さっきの彼ら」と「こっちの彼ら」という視点も、なんとなくこの「家庭と学校における、子ども教育の役割分担」という点を考える際に活かせるような気がしてきた。
家庭と学校、どちらが「さっきの彼ら」のように「これまでの僕に何があったのかをわかった上で、優しく接してくれる人」であり、どちらが「こっちの彼ら」のように「これまでの僕に何があったのかをあまり知らないけれども、優しく接してくれる人」なのかはわからない、というか、いろんなケースがあるのだと思うけれども、こういった役割分担のようなものも、時には起こっているよな〜って。
ここでいう「優しく接してくれる人」の「優しい」っていうのは、僕の中ではいわゆる「勇気づけ(アドラー心理学用語)」の関わりをしてくれる人っていうイメージでの「優しい」であって、なんでもかんでも肯定したり、必要な指摘や介入をしないってことではないんだけど。
最近、芸能人が亡くなることや、自然災害によって命を落としてしまったり、これまでの生活がままならなくなってしまう人のことを、たくさん見聞きする。
そんな中で、僕にできることってなんだろうか。
必ずしも、僕のペース(都合)でこれまでにあったことを聞き取ることでも、自分の今の生活に大きな支障を出し続けてまで、その方たちへの支援や援助に駆り立てられてしまうことではないのかな、なんてことを考えている。 「さっきの彼ら」に近い存在になろうとするだけが、その方法ではないよなって。
一見、直接的には何もしていないように、いつものようにしなやかに強く、自分の日々に取り組んでいる姿っていうのが、まわりまわって誰かの力になるってことも、きっとあるんだよなって。 「こっちの彼ら」なりの優しさや、関わり方ってのもあるよなって。
あなたは今、誰にとっての「さっきの彼ら」であり、「こっちの彼ら」なんでしょうね?
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