自分がやらかしてきたことをちょっと振り返る【巻の4】 就職氷河期の就活篇
やっぱり実例がないとね
前回は、1999年頃の就活をしていた中で、男女差別であったり、適性試験や適性検査であったりの話をしました↓
さすがに今から20年以上も前の適性試験問題を完全再現するのは、いささか無理があろうかと思います。
そこで、理系大学生・理系大学院生だったワイが、どんなヘンテコな就職活動をしてきたのか? 自らの記憶の奥底に沈めていた恥を晒しながら、ちょっとずつ進めていきたいと思います。
化学系アホ学生の実際の就活(序章)
文系学生と比べ
もちろん全員ではないでしょうが、少なくともワイの周りでは文系の方と比べたら、危機感は少なかったと思います。
つかさまき様のように危機感を持ちながら行動していたのであれば、まだいいのですが↓
自分の周りのなんやかんや先輩方が(かなりのジェンダーバイアスがあったに推察しますが)それなりの企業に滑り込んでいました。
このあたりは、たまたまワイがいた理系大学にコネ(ex.学校推薦、研究室推薦)が数多くあったことも影響していたと推察します。
全く、見ず知らずの会社よりは同門のOB・OGがいる会社だといろいろ情報を得やすいということも理解できます。
一方で、先輩方が本当に納得していたかを推し量ることはできません。
しかし、博士後期課程に進学するという危篤な先輩を除きほとんどの先輩が就職できた事実を見ると、自分も大丈夫という現状維持バイアスを満たすには十二分の結果だったと思います。
だって、先輩が就活成功して、自分が就活で苦労するなんで考えることは、まずないでしょうから。
日常の拘束時間
あとは、就活にかけられる時間です。
端的には、研究室での拘束時間が就活の妨げにしかならんということです。
ワイの院生時代の不真面目な学生生活については別の機会にお話しできればと思いますが、当時のタイムスケジュールはこんな感じ。
20年以上も前の話なので、参考にはならないかもしれません。
ただ、コアタイムが8時から20時なんで、まともにやれば10時間以上は拘束されます。どうしても、実験系がメインの研究室では拘束時間が長くなるのでやむを得ないにしても、この合間を縫って、指導教官を無しでの就活するとなると、それなりの覚悟はいるでしょう。
もっとも、ワイは不真面目な学生だったので、サボり感覚で就活してましたから(苦笑)。
あと、当時はインターンが必須要件ではなかったことも幸いしていると思います。面接とか、採用試験の時だけ研究室を不在にすればいいですから、その点では楽だったと思います。
ただ、長期不在になると、日々のディスカッションが大変厳しいものになったり、土曜日の実験報告会が公開処刑になったりは、日常茶飯事でしたね。
当時は気づきませんでしたが、研究室内での白衣とは対照的な黒さがあった研究室だったかもしれません。
採用活動開始時期
うすらぼんやりですが、2000年4月に入社の新卒修士学生を前提にする企業の採用活動とワイの大学院生活を振り返ると、こんな感じだったかなと思います。
見ていただくとわかりますが、M1の中盤から就職活動をしていたことになります。
なんで、こんなカオスな就活だったのか。
歴史的な経緯はyuu様が詳しく記事にしてくださっているので、そちらを↓
その弊害については、Kaz様が現在も続くインターンシップについても鋭く記事にしていますので、そちらをご覧いただきつつ↓
日本経団連が1997年に倫理憲章を策定し、運用していたらしいのですが
2011年1月公表の「新卒者の採用選考活動の在り方について」↓
この憲章どおりには進んでいません。早い人では、M1で結果がわかっていたかと。
実態はどうだったかについては、おいおいお話しするとして。
振り返ると、コンプライアンスが重視される現代では考えられないような、何でもあり採用活動だった時期…それがワイの就職活動時期=就職氷河期だったんだなと感慨深くなる気もします。
より深イイ話?
過去の記憶を頼りに記事を作成している関係で、細かいところでどうしても辻褄があわなかったり、中身が飛んでいる箇所もあろうかと思います。
逆に、墓場まで持っていかねばならぬ話をうっかり大公開してしまう危険性もあり得ます。
いまのところ、ワイの確認できる範囲では大丈夫な話をしていると考えています。もう少し、深掘りできるような夢物語を語らせていただければと思います。
(続く)