【アニメ回想・漫画回想】黒い天使と白い悪魔からを振り返る?|ぴたテン
誰得
今回は、かなり前の漫画作品「ぴたテン」を取り上げたいと思います。
作者はこげどんぼ*。「月刊電撃コミックガオ!」(メディアワークス)で1999年から2003年まで連載されてました。単行本全8巻。2002年には小説化、アニメ化されました。
私が見たのは、アニメ版→漫画版の順番です。
現在では、KADOKAWAの公式にもあるように、電子書籍版の入手が可能です↓
アニメーション制作会社のマッドハウスによる紹介はこちらです↓
バンダイチャンネルでも、アニメ第1話が無料で視聴できます↓
ぴたテンのアニメが始まった2002年から、もう20年以上。すっかり爺さんに向けて老化が加速している私ですが、本作をたまたまAmazon Primeで見返したことを契機に、ふと感じたことを今回記事にしました。
どんな話?
ちなみに、公式による作品紹介はこちらです↓
ジャンルとしては、コメディとファンタジーになるんですかね。
漫画とアニメの二面性
多分共通しているところ
ぴたテンは、確かにキャラデザインだけ見れば、かなりキワモノのコメディという印象を持つでしょう。
しかし、本質はそこではありません。
漫画版もアニメ版も共通しているのが、
の二面性を、中学受験を控えている小学生の視点から描かれているところにあると思います。
この年代の小学生であれば、前思春期とあたります。
前思春期に関しては、wiz様が詳しく解説してくださってますので、そちらを参照いただきつつ↓
前思春期は、心理学では、体は子供のままで心は大人に向けて変化する時期だとされています。抽象的な概念が理解できるようになるのもこの時期です。
特に、主人公の樋口湖太郎は、前思春期では抱えるのが大変なくらいの重荷を抱えながら、ある意味気丈に中学受験に挑もうとしている中で、作品が展開していきます。
ここに、非現実世界の住人である天使と悪魔が現れ、漫画やアニメが成立します。
黒い天使・美紗も、白い悪魔・紫亜も、湖太郎たちから見れば異世界の住人であり、現世であれば、抽象的に扱われるべきものです。
ただ、ここは創作の世界。
現世の住人である湖太郎たちの前に、異世界の住人である美紗と紫亜が現れることで、
また、
を極めて緻密、かつ、繊細な描写とセリフ回しにより、全体として、ハートウォーミングな作品に繋がったと、私は思います。
相互補完しているところ
私が初めて本作のアニメ版に触れたときは、ガッツリ作品にハマるというよりは、気楽に眺めているような感覚でした。
アニメ版は、たまに挟まるコメディタッチもありつつ、全体としては暖かな展開…。当時、社会人になりたての小僧が観るのには、ちょうど良いレベルだったと思います。
後に、漫画版を手に取ったときに味わった、内から次々に湧き出てくる負の感情、そして葛藤…いわゆる鬱展開にも映る点に、面白さを感じてはいました。
一見すると、ぴたテンのアニメ版と漫画版では、別作品のようにも映ります。
世に出回っている、メディアミックスされた作品群において、原作と動画作品(アニメ、実写…)で内容が異なるといったことは多々あります。
しかし、ぴたテンには、本作では、入り方は大体同じような雰囲気を醸し出しながらも、
が、良い意味で相補的な関係にあると思います。
アニメ版で表現した方がいい点、例えば一度は別れた現実と非現実が最後の最後に出会うシーンであったり。どちらかというと、それぞれのキャラクターの良さを引き出そうとしているのがアニメ版だと思います。
逆に漫画版(モノトーン)で表現した方がいい点、例えば湖太郎と紫亜との関係性を示す場面であったり。どちらかというと、メッセージ性が強いのは漫画版だと思います。
その後に導かれる結末は異なるものの、
補うことで、非日常を経験している前思春期にいる登場人物たちを見守りつつ、本作のテーマでもある人間と人外の共存の否定(ここでは、人間と天使・悪魔との共存の否定)というテーマを多義的にとらえることができる作品であると、私は考えます。
アニメのOPとED
二面性という意味では、本作のアニメ版のOP、EDにも見て取れます。
アニメ版のOPは「Wake up Angel ~ねがいましては∞(むげん)なり~」↓
本作は、湖太郎が美紗と出会うからストーリーが始まります。そのような意味でも、天使である美紗から、元気をくれる電波ソングが現在のジャンルになるでしょうか。
ただ、
とか
などの歌詞をみても、ドジっ子の美紗をメインをモチーフにしているものの、本作を考える上での二面性を象徴していて、微妙なタッチで心に引っかかる印象を覚えます。
EDは「ちいさなまほう」↓
ちいさなまほうに関しては、昔ちょっとだけ触れましたが↓
こちらは、湖太郎(cv.沢城みゆき)が歌っています。歌声だけ聞くと、女性ボーカルの澄み切った声でふんわりとした感じでしょうか。
この曲をリリースしたときは高校生だった沢城。現在の沢城の技術であれば、完全に湖太郎に似せることもできたかもしれません。
しかし、
女性ボーカルを前面に出し、
歌詞から湖太郎色を無くし、
普遍的な歌詞と曲にする
ことで、結果として、湖太郎の思いがより強くなったEDになった私は考えます。
ただ、個人的には、ちいさなまほうは、いわば隠れた名曲だと思います。しかし、あまりカバーされないのは、大人の事情なのか?と勘繰りたくなります。
明日また会いましょう、朝日の丘で
確かに20年前であり、かつ、作画がかなりオタクコンテンツ的であるため、現代ではちょっと取っつきにくいかもしれません。
ただ、20年以上前とはいえ、小学6年生のこどもたちの目線で前の
なんで出演者も
とかなりの実力派がそろっており、セリフ回しだけでも、なかなかのものだと思います。
ただ、もしぴたテンを通して、他の人と、夢を重ねることができるなら…
次の日に会えるかもしれない…
そんなことを妄想してしまうのは、加齢による睡眠の質の低下が原因だというのは、みなさまには秘密です(苦笑)。
(了)