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【読書】失われた30年の始まりをハマコーの著作とともにと考える? 中篇

前回のお話し

今回も、浜田幸一の問題作「新版 日本をダメにした九人の政治家」を取り上げます。

ちなみに、前回の記事はこちらになります↓


前回とほぼ同じ注意

この記事では、浜田幸一氏の著作を元に話を展開しています。したがって、山田(仮名)が特定の政治信条を批判したり、政党や政治家を非難したり、また支持することを意図したものではありません。

記事を読んでいて、気分を害されることも生じるかもしれません。もし、当方の表現力の無さからくるものでしたら、あらかじめ、お詫びします。

あと、本書の良さを引き出す手段として、ここからは政治家その他登場人物に敬称をつけませんので、悪しからず。


そもそもハマコーは

すでにご承知かもしれませんが、改めて。

浜田幸一は1928年千葉県生まれ。1945年、木更津中学(現・木更津高校)を卒業後、日本大学に進学し、中退。1955年富津町町議会議員に当選。その後、千葉県議会議員を経て、1969年に衆議院議員になります。

ここまでは、戦前生まれの政治家あるあるだと思います。

木更津のダニから政治家へ

本書を読み進めていく中で、いくつかターニングポイントはありました。

1つは、1945年8月15日の終戦の詔勅です。

浜田は、昨日まで戦争の英雄であった者が戦争犯罪人になる不条理さから、グレていき、終いには木更津のダニと言われるダメ人間に成り下がって行きました。

その後、傷害罪で刑務所に服役し、出所後、稲川会稲川角次(稲川聖城)石井進(石井隆匡)の世話になり、更生しました。

本書でも、

「お前は意気地がないから、ヤクザはつとまらない。カタギになれ。政治家をら目指したらどうだ」
そう言って、ヤクザの世界から足を洗うよう諭してくれたのが、稲川会の稲川角次会長であり、私の兄貴分だった石井進さんである。つまり、この人たちは、終戦を境に人生の目的を失いらただ闇雲に暴れまわってら、「ダニ」とまで言われた私を、懇々とさとして目覚めさせ、真っ当に生きる道を示してくれたのである。

本書P284-285より

と述べており、稲川、石井の応援なくしては、その後の浜田の政治家生活はなかったでしょう。

ただ、

当時、稲川会長は、ヤクザと言ってもいまの暴力団とはちがって、いわゆる"任侠の人"だった。石井さんは石井さんで、新しい"経済ヤクザ"の道を模索していたように思う。

本書P285

の発言。

確かに、1993年当時であればアウトとは言い切れないと思います。

しかし、現在、経済ヤクザは完全にアウトです。もし、経済ヤクザとお付き合いがある時点で、まっとうな稼業ではないと、社会から判断されます。

ただ、浜田の話を現在のキャンセルカルチャーで語るのではなく、例えば、

出所した元受刑者が、他社の力を借りて更生し、人一倍努力を重ね、現在はまっとうな社会人として参加することまで、「キャンセル」されるべきか?

の問いを考える上では、浜田の自叙伝的な話は、再チャレンジとは何かを考えるきっかけになると思います。

ちなみに、ハマコーと稲川会との話は、猪鼻康幸様が貴重なお話を記事にしてくださってますので、そちらをご覧ください↓

ラスベガス

浜田幸一に関しては、国会議員在職中からエピソードというか、発言が物議を呼ぶケースが多々見られました。

その1つに、1980年に発覚したのラスベガスでのトバクの話。この件が引き金となり、第36回衆議院議員総選挙の際に、自民党から公認を得られず、出馬を見送り、浪人生活を送ることとなります。

そのことについて、次の第37回衆議院議員総選挙で返り咲いたハマコー議員は、田中角栄元首相からありがたい言葉を頂戴しています↓

本書でも、1972年、浜田がラスベガスの公認カジノに行って負け、小佐野賢治にギャンブルの負けを立て替えてもらったことは述べられています。しかし、ロッキード問題とは一切関係ないと弁明しています。

私からすると、当時の浜田幸一程度の国会議員であれば、ロッキード社が直接、直接ハマコーにカネを渡す義理はないと思いますね。

実際、ラスベガスの件は、日本国内では賭博を禁止されているのに、国会議員が海外でやっていいのか?という道義的な問題です。しかし、時の総理・大平正芳への攻撃材料として、野党がこのネタを持ち出そうとしたため、結果的には議員辞職を決断しました。

もっとも、浜田が本書で主張するように、国会議員のギャンブルが問題であれば、1993年の非自民・非共産の連立政権で衆議院議長となったパチンコが趣味の土井たか子を糾弾しないのかという論調には、かなり説得力があると思われます。

もちろん、土井たか子は、当時の旧社会党の中で、唯一潔癖だったと浜田も評価しています。

ちなみに、ロッキード事件も、ほぼ昭和史になってますので、jaco様の記事を引用させていただきます↓

予算委員長をあっさり辞任

第37回衆議院議員総選挙で返り咲いた浜田は、金丸信のもとに向かい、書生というか、用心棒というか…金丸訪問を6年続けました。

その間に、金丸夫人の助言もあり、1988年に衆議院予算委員長に就任しましたが、審議の紛糾の責任を取り、わずか10日で辞任することとなります。

この原因となった議事録(第112回国会 予算委員会 第7号議事)は現在でも存在しますが↓

結果として浜田の予算委員長辞任を引き換えに、日本共産党は浜田の発言についての議事録の削除要求を取り下げました。

もし、事実無根の話であれば、浜田の発言は日本共産党としては到底受け入れるべきではないと思いましたが、取り下げの真意が私にもよくわかりません。

浜田は本書で、辞任のきっかけとなった自身の発言に関し、そもそも自身の主張と日本共産党とは主義主張が違う点は述べつつ、日本共産党と戦う姿勢を見せなかった自民党の国会運営についても、猛烈に批判しています。

自民党が、足して二で割る政治を続けてきた所作とも思えます。

親の首を差し出した男、親の首を平気でとる男

浜田を書生として向かい入れた金丸信ですが、1992年8月に発覚した東京佐川急便から5億円問題が発覚し、東京地検特捜部に上申書を提出。その結果、政治資金規正法違反の略式命令、罰金20万円。

このときの世論の反発はすさまじく、1992年10月に議員辞職にとどまらず、脱税事件にまで発展し、東京地検特捜部に1993年3月に秘書とともに逮捕されした。

このあたりの流れは、racoco様の記事を参照ただくとして↓

金丸信が失脚後、金丸に目をかけられていたとされる梶山静六小沢一郎一六戦争によって、結果として、自民党が分裂、宮沢喜一内閣の不信任決議案が可決される事態となりました。

本書では、梶山、小沢の両名に一定の評価をしつつ、金丸の5億円問題の際に、裁判で主張すべきとする小沢に対して、略式命令で手打ちにしようとした梶山について、

梶山君は親分を有罪にして、自分たちへの波及を免れたかったのである。

本書P233より

と断罪し、かつ、自民党幹事長としての器がなかったと批判しました。

また、小沢に対しても、本書では、まず金丸事件について、

いま、金丸さんの裁判で、金丸さん側が主張しているのは、ため込んでいた六十億円と言われているカネは、政界再編のための政治資金だったのであって、個人的な蓄財ではなかったということだ。

六十億円全部がそうだったかどうかはともかくとして、この話はまるきり、うそではないと思う。そして、金丸さんが描いていた政界再編とは、小沢君を中心とした新党の創立であった。

本書P270より

としたうえで、「同じ穴のムジナ」だった小沢が、自分は全く関係ないとする対応に、親の首を平気でとれる人物と批判しました。

もう少しだけ、お付き合いを

ということで、今回はここまでにします。私の中で、語り切れない部分もあるので、次回、総括できればと考えています。

(続く)

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