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【流行語大賞】異論に対する微かな反抗|R6.12.5 東洋経済オンライン


へー、そうなんだ

師走の声を聞くと、今年一年の何とか…が出回る時期になります。

そんな中でも、2024年のユーキャン新語・流行語大賞に

ふてほど

が選ばれました↓

私的には、へーっ…てくらいの関心ごとですが、東洋経済オンラインに真鍋厚氏が納得できない理由を寄稿しました↓

これを読んで、アレ?と思ったこと、なるほどと思ったことなどなど、あれこれを、つぶやく形で書き連ねました…というのが、今回の話です。

そう言われると

世相を表す用語とかは、一年を締め括る意味では、私的には面白く感じるものがあります。

今回の新語・流行語大賞もそうですが、

今年の漢字
創作四字熟語
サラリーマン川柳
現代学生百人一首

なども、世相を反映している面もあり、活字メディア(古い・新しいを問わず)でお目にかかるものです。

しかし、どの"作品"も、特定の企業や団体が主催し、選考してますから、

万人が納得しなければならぬ

というものではないと、予め自分の中に落とし込む必要があると感じています。

その中で

東洋経済オンラインでの真鍋氏の記事のサブタイトルにもありますが、

暗いワードではなく、明るいワードを選出した?

は、ある意味"正しい"かなと思います。

というのは、以下の2点も忖度したという事情があると私は考えます。

①公正さ

トップ10になった裏金問題から。

多くは自民党系議員の疑惑がだったのですが、立憲民主党系議員にも疑惑が取り沙汰されていました。

しかし、マスコミの追及は自民党系議員だけで、立民党系議員には手緩い印象でした。

令和6年10月の衆院選特番でも、テレビ朝日系列の「裏」、日本テレビ系列の「ウラ金のマーク」問題などは批判されています(R6.10.27中日新聞)↓

その中で、裏金問題を選ぶのは、ふてほどだと私は考えます。

②犯罪の助長の抑止

ホワイト案件に関して、現時点での選ばない選択は最適解だと考えます。

そもそもの意味は、ブラック案件の対義語ということになりますが、やはり犯罪を助長する"おそれがある"ものを後世に残すのはまずいかなと。

流行っているとは言わないが

実際に、ふてほどという用語を使ってコミュニケーションをしている場面をほぼ見たことがありません。

しかし、ふてほどを前提にしたコミュニケーションになってきているなと強く感じています。

コンプライアンスとか、ポリティカル・コレクトネスなんかで括られる話です。

特に、昭和→平成→令和と生きてしまった私には身につまされる気分です。

拙記事引用で申し訳ありませんが、例えば亀有ブラザーズのネタを完全ノーカットで記事にすると、noteの利用規約に反しますし↓

ドラクエIIIの話も時代の流れなんだろうなと自分の中では整理しています↓

確かにそんな側面もあるが

昭和と令和の文化的ギャップをもとに、「不適切にもほどがある!」というドラマが作られ、(私は観たことがありませんが)好評だったと聞いています。

そのギャップには、失われた30年が横たわっています。

失われた30年に関しては、私と多分同世代の氷河期世代おじさん代表様の論考が大変参考になるので、そちらで背景を押さえつつ↓

真鍋氏の論調のように、確かに失われた30年には、格差社会が進み、社会関係資本が空洞化したダメージは大きいです。

しかし、氷河期世代おじさん代表様も指摘していますが、

多くのテクノロジーの進化が僕達の生活を豊かにしてくれた面

という面もあります。

例えば、昭和にはなかった

5G通信
ドローン
生成AI

などなど、昭和になくて、令和にあるテクノロジーをあげればキリがないです。

ここには書ききれない技術も、令和になって、何の前提なし突然発明されたものではありません。

下手すると昭和以前からの研究の積み上げがあっての現代のテクノロジーでしょうから、その現実に目を逸らしてはならぬと感じています。

本当に「ふてほど」な選考か?

真鍋氏の寄稿では、「不適切にもほどがある」という作品は

マスメディアが創造した「昭和」と「令和」のいいとこ取りのファンタジー

元記事より https://toyokeizai.net/articles/-/844278

として捉え、

昭和と令和に挟まった平成が「ふてほど」からショートカットされている

https://toyokeizai.net/articles/-/844278

ように見えていると、私には映ります。

しかし、私は、

昭和→平成→令和

の流れがある前提だと考えます。

そこには、氷河期世代おじさん代表様の言葉を借りると、

従来の「安定」や「同調」を重んじる文化

の中で醸成された

昭和の流れを組みつつ、変わっていった平成
平成の流れを組みつつ、変わっていった令和

が存在している。

その時代の流れを切り取り、

"表面的"に変わってしまった昭和と令和のギャップを楽しむエンタメ

として、本作品があると考えています。

ただ、ギャップの部分は、昭和であれば、公に議論されにくい部分なんでしょうけど、令和のコンプライアンスとか、ポリティカル・コレクトネスなどの視点では加護できない…

から

ふてほど

になってしまったのかなと私は見ています。

こんな背景があるので、

ワードそのものの認知度

を考えれば、そもそも選考に相応しいとは言えないものの、

ワードが生まれた背景

と現代の

コンプライアンスの重要性


を踏まえれば、必ずしも完全に"誤った"選考ではないと、私は考えます。

もうちょっと…

とは言ってみたものの、あまり普及していない言葉を選出すべきでないという論調を完全に覆すのは無理ですね。

ただ、自分が新語・流行語大賞の選考委員だったら、

全ての国民が納得できている
かつ
多様性にも完璧に配慮している
かつ
絶対に炎上しない
かつ
その時の世相を表す言葉

を選ぶのは、大変難しいと思います。

そんなことばかり考えるよりは、

流行語大賞? へー、そうだったのね

と眺め、選考理由を楽しむくらいの方が私にはあってそうな気もしますね。

(了)

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山田太朗(仮名)
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