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しあわせなんて運ばなくてもいいから

東日本大震災から9年が経った。当時9歳だった私は18歳になり、小学生だった私は高校を卒業した。ここには書ききれないいろいろなことがあった。本当に時間の流れは早いものだ。気がついたらもうじき大学生になる。

その時間の中で、たくさんの人が悩み、苦しみ、心を病み、一部は自ら命を絶った。その時間の中で、たくさんの人が希望や夢を取り戻し、日常を再構築した。テレビで語られるのは、もっぱら後者だ。被災地の復興した場面ばかりが取り沙汰されるが、実際にその狭間で苦しんでいる人は忘れられていく。

地震にも負けない強い心をもって
亡くなった方々のぶんも毎日を大切に生きてゆこう

これは阪神淡路大震災のときに書かれた、しあわせ運べるようにという曲の歌詞だ。

私はこの曲を批判したいわけでも、否定したいわけでもない。この曲が10分でできたなんて、本当に素晴らしいと思う。メロディーは素敵だし、世界で歌われるのにふさわしい曲だと思う。

ただ、そう簡単にはいかない。簡単にはいかないからこそ、私達はこんなにつらいのではないだろうか?

地震に負けない、というのは簡単なことだが、事実として震災を生き抜いた15人が自殺したように、震災後を生き抜くことはそう簡単ではない。震災後を生きるということは、震災で文字通りすべてを失って、心も体も壊れていながら、生きるということなのだ。

そもそも、あなたが震災後につらさを抱えているなら、それはあなたが弱いからではない。あなたが「地震にも負けない強い心」を持っていなかったからではない。地震がそれだけ破壊的な出来事だということだ。

さらに、亡くなった方々のぶんまで、私達が生きる必要はない。いや、もちろん亡くなった方々のことを思いながら生きることは本当に大切なことだ。彼らの存在は私達に強さを与えることだろう。ただ、亡くなった方々のことを思いながら生きるという、そのことが重荷になるようだったら、もっと自分のために生きてもよいのでは?私は最近そう思うようになった。

「生きたくても生きられなかったひとたちがいるから、私達は生きなければならない」

よく聞く言葉だ。とくに日本人はこの言葉が大好きで、私が自殺未遂をしたときにはよく言われた。ちなみにイタリアでは、あなたはまだ若いのだから、とよく言われた。ここにもお国柄が出るものだ。

ただよく考えれば、これは本当におかしな話だ。生きたくても生きられなかった人は亡くなったのであって、私達は生きている。どんなに願っても私達は彼らにはなれないし、彼らは私達にはなれない。そこに因果関係はない。

生きたくても生きられなかったひとたちがいるから、私は生きる。そう、誰かが「自分から」言うのは素晴らしいことだ。現に私は、その生きられなかった誰か(私の友人)のことを思うと、もう少し生きられると思ったり、生きなければならないと思ったりする。

ただ、それを他人に押し付けるのは本当におかしな話だ。私はこう感じるからあなたもそうだろう。その推論こそが暴力なのだと気づくこともなく、一部のひとたちはそう声高に叫ぶ。まるで彼らが絶対の真理であるかのように。

話を戻そう。

しあわせ運べるように、というその曲は本当に素晴らしい。ただ、私は正直、震災というつらすぎる出来事を生き抜いたあなたには、しあわせを運ぼうとして生きなくてもいいと思っている。もちろん故意に不幸を作りなさいと言うのではない。ただ、そこに義務はない。

ただ、私はこの記事を読んだあなたに、ひとつだけお願いがある。

どんなにつらくても苦しくてもいいから、生きていてほしい。

実際自分は死んでもよくて
周りが死んだら悲しくて
それが嫌だからっていうエゴなんです

これは「命に嫌われている。」という曲の歌詞だ。本当に、私はただのエゴイストだ。ものすごく自覚している。

あなたは、私のお願いをエゴだと笑うだろう。本当にその通りなので、私は強いてそれに反論はしない。

生きていてほしい。そう願うのは、人生が素晴らしいからではない。人生なんて生きてりゃわかるとおり、つらくて苦しい出来事が山ほどある。そう思うのは、いつかこのつらさが和らぐからでもない。苦しい出来事は永遠と思われるほど長く続く(それは実際は永遠ではないのだが)。

生きていてほしい。そう心から願うのは、あなたのことを大切に思っているからだ。会ったことのない、名前も顔も知らない、そんなあなたに大切なんて言っていいのかもわからない。それでも、私はあなたが必要だ。いつか生きていれば、素晴らしい出会いがあるかもしれない。それまで、私も頑張って生きるから。

死んでほしくない。生きていてほしい。そんな言葉が、誰かを救えるのかもわからない。ただ、それでも、あなたを失うという喪失はあまりにも大きい。人々は見えないところで繋がっている。人々は見えないところで支えられている。たとえ、今まであなたと私が直接出会ったことがないとしても。

あなたが、このつらい夜を、乗り越えられますように。