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蒼い海と、おばさんと。
2003年、春。新婚旅行で石垣島のあるリゾートに宿泊した。プライベートビーチ有り、敷地内は一つの集落の様になっており、ただ敷地内を歩くだけでも南国ムードを満喫できた。
旅行期間中は終始晴天に恵まれ、蒼い海と抜ける様な美しい空が、あまりにもパンフレットのままである事にとても驚いた。
集落内にはコンビニの様な売店を初め、所々に出店などもあり、泡盛スタンドバーにトロピカルジュース屋なんかもある。
そんな中に螺鈿細工のお店があった。
とても綺麗なアクセサリーが並んでいて、店番をしている60代位のおばさんが通り掛かった私達に素敵な笑顔で挨拶をしてくれた。
南国の雰囲気を壊さないようにか綺麗な柄のリゾート地らしいワンピースを着て、その胸の辺りに螺鈿細工のペンダントが光っていた。
私は足を止めて「こんにちは。」と返した。
私は結構人見知り。いつもなら歩を緩める程度に挨拶をして通り過ぎただろう。
旅の空気がそうさせたのか、知らない土地で知らない人に触れたかったのか。
足を止めた私を見て、おばさんは「どこから来たの?」と声を掛けてくださった。
そもそも何故、石垣島を選んだのかと言うと、当時、SARSという風邪が世界で流行っており、国によっては渡航自粛が出ていた事もあって海外でなく国内にしたのだ。
私自身があまり旅行自体した事がなかったので、拘りもなく、漠然と「南に行きたい」と夫が言うままに沖縄地方巡りとなった。
昔、犯罪者って「北に逃げがち」とか聞いたことがあるけどその反対なのかしら。
しかし、私達は英語などが話せないので、こうやってふと現地の人と話せる国内であったのは良かったと思った。
島の話やおばさんのお仕事の話など、たわいのない話をゆるゆると聞いていた。
旅先で知らない人と触れ合い、話を聞くことは楽しい事なんだなと思った。
ふと会話が途切れた時、ザアッと心地よい南国の風が吹いた。海からの強い風。
その風に呼ばれたように私たちは風の吹いた海の方へ目をやった。
眼前に広がる蒼い海。海もただ蒼いだけでなく、雲の影や海の深さによって色の濃さが違う。蒼い瑪瑙の原石を割ったよう。
気温27度。心地よい温度の風が服の裾をはためかせる。そのどこまでも抜ける様な蒼い景色と風に煽られた大きめの波の音に心奪われ息が止まった。
おばさんはその海の遠い遠い所をボンヤリと眺めながら
「綺麗でしょう。辛いことがあってもねぇ。この海を見ると忘れるのよ。」
と、ゆっくりと息を吐き胸に両手を合わせて静かに言った。
その時の海の景色とおばさんの姿がとても印象的だった。
私は変化が苦手な人間だ。いざそうなれば腹も括るのだが、この旅行から帰れば夫婦として結婚生活という現実が始まる事に、期待もあったが、実は不安もいっぱいだった。
これから先、楽しいことも辛いこともあるだろう。
こうして海を見るおばさんの様に、辛い時がやってきた時には、何かに縋る様に自分を癒す事もあるだろう。
でも、横にいる夫が居てくれるなら、共にお互い寄り添えるならそれを糧に頑張りたいと思った。
そのおばさんの姿は、私の結婚生活に対する強さとしなやかさの象徴となった。
それから13年後の秋。多忙な夫のリフレッシュ休暇を機会に再び石垣島に訪れた。
今度は中学生の息子と3人。
天候は快晴とは言えなくも良好。
石垣島は13年前とは様変わりして、驚く程の都会になっていた。
当時、タクシーのおじさんがネタで「ここが石垣島のメインストリートだよー。」なんて言っていた通りは本当にメインストリートらしい通りになっていた。
空港からレンタカーを借り、そのまま石垣島を回った。街を少し外れると、道沿いにどこまでも続くさとうきび畑。所々に突如現れる"ヤギ汁あります"とだけ書かれた看板。こんな所は変わってないないなと安堵した。
宿泊はどうせならと、件のリゾート宿泊施設に予約を取っていた。
チェックインをする。13年も経っていると、流石に当時より古ぼけた感は否めないが変わらないその集落。
日の沈む前に南国ムード満載の敷地を3人で歩いた。
なんとなく覚えのある風景を歩く。
しかし、集落をくまなく回ってみると、売店は残っていたもののトロピカルジュース屋や泡盛スタンド、そして例の螺鈿細工のお店はもう無くなっていた。
夫が「確か、ここにアクセサリーのお店があってお店の人と話をしたなぁ。」と、言いながらふと足を止めた。
「13年経ったからねぇ。」
私はその場所から海を見た。
今は春ではなく、秋。
あの時と季節は違うが石垣島の昼間はまだ暑さを残した空気。
もう日は暮れかけてはいるが、その暖かい風の強さと煽られた波の音に、あの時の光景を思い出した。
そして、もう会えるはずのないおばさんの姿に、私は「私はあの頃より、少しは強さもしなやかさも身に付いたかなぁ。」そう呟いた。
心地よい南国の風が吹いている。
あの時の様に服の裾を風がはためかせていた。