馬でもなく牛でもなく精霊カーで。
うちの母(実母)は盆の時期になるとせっせと精霊馬と精霊牛を作る。
作ることになったのは、もう私が大人になり、色々あって三男である父が仏壇を引き取る事になってからである。
母はなかなかのアイデアウーマンだし、手先も器用だ。
ただ、何というかバランスがイマイチ。
初年度の作品など常軌を逸していた。
オリジナルセンス光りまくり過ぎて狂気の域だった。
寄生獣も真っ青なフォルム。
恐怖と共に、その重力を無視した胡瓜の馬らしき物と、茄子の牛らしき物に"何が起こればこんなことになるのか"と感心していた。
「お母さん、流石にこれは馬にも牛にも見えない。」
そんな苦言から数年、母の精霊馬牛制作の腕はメキメキと上達し、どこに出しても恥ずかしくない精霊馬牛を仕立て上げられる様になった。
そして、スマホが普及し出しSNSなんかで近年、精霊馬や精霊牛をバイクや車に仕立て上げる画像を見かけるようになった。
「あはは。面白いな。また機会があれば父に作ってあげようかな。」と、思いつつ月日が流れていった。
私の父は11年前に亡くなっている。若い頃からバイク、車が好きだった。
晩年、身体も弱りハンドルを握る事が出来なくなった父が、ダイハツのコペン(旧タイプ)を見ながら、「あの車いいなぁ。」とポツリと言った言葉がずっと心に残っていた。
嫁いでから、盆はいつもバタバタして終わる。
そんなコロナ禍、人の集まりも無くなり気楽な今年。
盆休み期間に入って数日のこと。スーパーで野菜を見ながら「あ。今なら精霊車作れるやん!」と、ふと思い立った。
もうお迎えの精霊馬の出番は終わっていたので、帰り用(精霊牛)の茄子を買った。
家に帰り、コペンっぽい車をイメージする。
あれこれ考えていると、息子が「僕に作らせて。」と、言うのでバトンパスをした。
父は息子(孫)が産まれてからご近所、友人と、周りが驚くほど人が変わった。
文字通り目に入れても痛くないと言うほど溺愛していたので、生意気反発娘の私より可愛い孫の作品の方が何倍も嬉しかろう。
「出来たらコペンっぽいのがいい。」
と、リクエストすると、息子は「善処する。」とだけ言って制作し始めた。
私はその間に片付けをします。
あとはよろしくメカドック。
今日は15日。
明日、父や森家のご先祖さまはあの世に帰るから、今日中に作らねばならない。
がんばれ息子。
***
こうなって。
こうやって。
仮止めを経て、
不器用ながらも、こう!
…って、コラ!! コペンはどうした!!?
息子に問い詰めると、
最初は目指してたけど途中で諦めた。
と、事もなげにしれっと言い放った。
…結構早い段階で諦めてない?
…まぁ、できちゃったもんは仕方がない。
まじまじと二人で出来栄えをみる。
私 「絶対3ナンバーやろ。」(コペンは軽自動車)
息子「アイドリング死ぬほどうるさそう。」
私 「エンジンかけたら、ドドドドドって言いそう。」
息子「黒光り具合がまたイカツい。ビジュアル的にドアはガルウィング式。」
私 「絶対ウィンカー、パッシング式じゃなくて流れて光るタイプのやつ。」
息子「ヤバい。」
私 「ヤバい。」
製作者(息子)でさえ辛辣なコメントを言いながら、実家へ持っていった。
持って行くと、母はゲラゲラと笑いながら「最高!絶対お父さん喜ぶ!」と喜んだ。
ちなみに左上の物が母制作の精霊牛。
爪楊枝で斜めに刺し、足を踏ん張る様な躍動感溢れる表現がされている。
初期のキテレツな牛馬からの進化具合が素晴らしい。
仏壇に手を合わせながら、息子に「来る時は"早くおいで"で馬。帰りは"ゆっくり帰ってね"で、牛なんやで。」
と、言うと息子は
「コレ、相当馬力あるタイプやから直ぐあの世に着くで。」
と、苦笑いをした。
….ウン。まぁ、そこは徐行でお願いシマス。
〜オマケ~
コマゴマになった茄子はラタトゥユにしていただきました。