人生はテレビゲームと共に。
自分の実力ではない、だからどうした的なちょっと小さな自慢をする。
1983年の秋が深まろうかという頃、我が家にやってきたファミリーコンピュータ。
発売して割と早い時期から我が家にはファミコンがあったことがひとつ。
もう一つのちっさい自慢はツテではあるが購入先が任天堂の人からだということだ。
夏頃だったか近所のイッチャンのお父さんが「友達が会社からテレビゲームが出たと言うので買ってきた。」と、購入してきたのが始まり。
またそれがべらぼうに面白いと、近所の子供皆、イッチャンの家に集まった。
それまでゲームウォッチが主流だった私達にはもう黒船来航並みの驚きだった。
その後、テレビゲームなんてナニソレ、どこで売ってるの的な田舎である私たちの為にそれぞれの親がそのツテを頼って購入してくれた。
私の周りで起きた世間より少しだけ早いファミコンブーム。
10本にも満たないタイトルが載ったパンフレットを眺め弟とソフトを選んだ覚えがある。
あれから40年。
ゲームにまつわる思い出が沢山ある。
まぁ、得てしてしょうもない話だけれど。
そんな話を幾つか綴ろうと思う。
1.スーパーマリオブラザーズ
私には弟がいる。
子供の頃から私と違って出来がいい。なので、ちょっとした習い事での成績やテストで良い点数を続けて取ると、私の知らない内に親は弟にご褒美を与えていた。
言わずもがな、それは概ねゲームソフトだ。
増えてゆくゲームソフト。
私が小5か小6くらいの時だっただろうか、弟は新しく買って貰ったスーパーマリオブラザーズと共にこんな物を買ってもらっていた。
ゲーム業界、どんどんと増えてゆくタイトル。ゲームアクセサリーというものが出てきたのだ。
弟は超ご機嫌でゲームバッグケースにソフトを詰め、買ってもらったスーパーマリオブラザーズをカセットケースにしまった。
ケースというとこの時代の発想だからか、カセットテープのようにラベルがあり、そこにゲームタイトルを書く仕様となっていた。
弟は口を尖らせ、ラベルに向かう。
弟は字がすごく下手なのでラベルからはみ出ない様に丁寧に油性ペンで文字を書き出した。
スーパーマリオブラザーズ と。
その時、私はふと"マリオブラザーズのブラザーズってブラジャーズだったら面白いなぁ。"と、大変小学生らしいギャグを思いついた。
そして、思いついたら止まらない。
ワタシは弟の横で「スーパーマリオブラジャーズ」と、ひとこと言った。
「ウフッ。」と弟の肩が少しだけ揺れた。だが、直ぐに真顔になり"ス"の文字に取り掛かる。
大爆笑しない。
その微妙な反応に満足しなかった私はムキになり
…スーパーマリオブラジャーズ
…スーパーマリオブラジャーズ
…スーパーマリオブラジャーズ
…スーパーマリオブラジャーズ
と、繰り返した。
そして、トドメに語気を強め
スーパーマリオブラジャーズ!
と、言い終わるかの瞬間、
「あああー!!!!!間違えた!!」
と、弟は悲痛な声を上げた。
弟の手元を見るとそこには汚い字で
スーパー マリオ ブラジャー
と、書かれていた。
「もおおおおぉーー!!」と、ペンもカセットも放り出しもんどり打つ弟。
その横で悪魔のような笑い声を上げるワタクシ。
その後、弟は必死でリカバリーしていた。
2.ドラゴンクエストⅢ〜そして伝説へ〜
よくテレビなどで近代日本の出来事を追う番組があるが、ファミコンの登場と共に必ずと言っていいほど出てくるのがドラゴンクエストⅢ騒動である。
購入の為、学生が学校を休んだり、カツアゲ・窃盗が起こったりと、残念な出来事も含め社会現象とまでなったこのソフト、お店の前に長蛇の列となっている映像を知ってる人も多かろう。
我が家は弟のご褒美効果により発売してすぐにドラクエ1.2とも手に入れプレイ済みである。
欲しい。ドラクエⅢ。
当時、購読していた週刊少年ジャンプにも大々的に特集が組まれ、その売り込み方からしてビッグタイトルの予感しか無い。
だが、発売日は平日。しかも、一番近い販売店は隣の市のデパート。(田舎だから)
発売日直ぐにでも欲しいが、当時小学生と中学生の私達姉弟ではどうしようもなく、発売日を逃した後はお店も入荷待ちの状態になるだろうと、近い内の購入はもう鼻っから諦めていた。
もう、発売日の事はあまり考えないようにしようと決めた。
そしてそんなある日。
部活から帰ると弟がリビングの机の上に丁寧にデパートの包装紙に包まれた四角い箱の前で正座をし、腕を組み座っていた。
「どうした弟。」
「…コレ。」
近寄ってみて、マジマジと見ると白地の包装紙の奥に赤色が見える、そして少年ジャンプの特集記事で幾度となく見たあの鳥山明デザインのイラストがうっすら見えた。
「……ッ!!こ、これは!!」
静かに頷く弟。
ドラクエⅢや!ドラクエⅢがここにある!!
もし、買ってきたものとすれば購入してきたのは母であろう。
しかし、弟は本当にこれは我が家のものであるのか、何故全くゲームをしない母がドラクエⅢの発売日を知っていたのか、どうやって購入したのか、こんなビッグタイトルを買って貰う程の成果が最近自分にあったのか考えあぐね、手を出す事に躊躇している様子だった。
その様子を察し、私も制服のまま正座をし弟同様、机の上のドラクエⅢであろうモノを眺めた。
因みに私は褒められるような成果はゼロなので、弟と違って、ただボンヤリ眺めていただけだ。
気のせいか何だか神々しささえ感じる。
暫くして買い物から母が帰ってきて、無期限の"待て"を食らった犬状態の私達を見て、
「あ。それ、ドラクエとかいうカセット買うてきたでぇ。朝にイッチャンのお母さんから電話があって"すごい人気のゲーム買いに行かへん?子供に頼まれたねん。"って言うから一緒に朝一番から行ってきたわぁ。なんや知らんけど結構並んでたわ。」
その言葉を母が言い切るか否や、弟はそれを奪うようにして立ち上がり、私は弟に続けとばかりにファミコン本体のある弟の部屋にダッシュしていった。
カセットを刺し、電源を入れると音楽も無く黒い画面に淡々とした「DRAGON QUEST Ⅲ」のフォントだけが浮かび上がる。
当時のファミコンのタイトル画面の中でこんな簡素なタイトル画面は見たことがなかった。
実は容量の関係でオープニング画面を削る事になりこうなったらしいが、却って私達にはまるで本の1ページ目を捲る時の気持ちのような、希望と期待で輝いて見えた。
今だってあの時の楽しみで張り裂けそうな気持ちを思い出せる。
数時間後、夕方のニュースでドラクエⅢ騒動のニュースが流れた。母はそれを見て如何にドラクエⅢが人気タイトルであるか、自分が知らずにどえらい買い物をしていた事に驚き興奮していた。
我が家でこのドラクエ騒動のライブ感を1番味わっていたのは間違い無くゲームを全く知らない母である。
そして、色々個性的な伝説を残すウチの母史1.2位に残るほどの超ファインプレー。ドラクエ風にいうなら会心の一撃。
このエピソードは私達姉弟の間でそのタイトルに則り「我が家のドラクエⅢ騒動"そして伝説へ"」という逸話となっている。
3.街〜運命の交差点〜
このゲームは一般的なゲームとはひと味違う。
ジャンプもしなけりゃダッシュもしない。
画面に実写の映像と文章が流れ小説のように読んで行くゲームだ。
サウンドノベルエボリューションというシリーズなのだが、同シリーズには「弟切草」「かまいたちの夜」というホラーテイストのものがあるのだが、この「街」はホラーでは無い。
8人の主人公達が東京・渋谷の街で5日間に起きるそれぞれの出来事を綴ったものである。
ただ本とは違いこれはゲームだ。各主人公のシナリオを進めて行くと、所々に行動の分岐があり、その選択肢によって物語の展開が変化して行く。そして、一見些細であるような行動さえも同じ街、同じ時間を過ごす他主人公達の運命に間接的に作用していくのだ。
物語の噛み合わせや時間の管理一つとっても「作るの大変だっただろうなぁ。」と思わずにはいられない作品だ。しかも実写だけに役者さんの数も半端ない。中には大御所俳優から無名時代の有名俳優さんや芸人さんも登場している。
そんな地味に贅沢で手間の掛かった作品が「街〜運命の交差点〜」なのだ。
寒い冬の日。発売したばかりの「街〜運命の交差点〜」を買い帰宅した。
このタイトル、元々セガサターンから発売しており、無料配布の体験版をやってから、ずっと気になっていた。そうこうしているうちに約1年後、サターン版より、遊び易くシステムを改良されたプレステ版が発売されたのだ。
薄いフイルムに包まれた新品のゲームソフト。
私はキャラメルなどのお菓子によく使われているビニールパッケージのあのピーッと剥くやつが大好きだ。
ゲームのパッケージはCDケースと酷似しており、そのピーッと剥くスタイル。加えて剥いた後にパカっとパッケージを開くと新しい説明書のインク匂いが鼻にフワッとくる二重の「新品感」が味わえる幸せ二段構え。思わず昇天しそうになる。
夜のまったりタイムにやろう。
取り敢えずプレイステーションハードの置いてある弟の部屋の棚にちょい置きした。
弟に「なんのゲーム買ってきたん?」と、聞かれ説明すると、弟は事もあろうに
「何ソレ。そんなゲーム面白いわけがない。」
と、言い放ちやがった。
確かに派手なタイトルではないかもしれない。サウンドノベルエボリューションシリーズでも地味な立ち位置かも知れない。
ええねん。貴様はこのゲームをプレイしなかった事で人生の何割かを損すればいい。愚か者め。
しかし、お風呂に入り落ち着くと日々の疲れが出たのか身体が重い。
明日は幸いにも休み。ゲームは明日にしようと早めに寝た。
翌日、私は酷い頭痛で目を覚ました。身体もだるい。耳の下が熱い。結論をいうと私はインフルエンザで高熱を出していた。
もうゲームどころではなかった。
私はそれから3日間高熱でダウンし、4日目の夕方にようやく熱は下がった。身体はだるいが熱が下がると「ゲームやりたい欲」がムクムクと湧いてきた。
ああ。ゲームやりたい。
ああ。"街"やりたい。
ああ。せめてパッケージを剥きたい。
私は咳をしながら、弟の部屋へプレステ本体と置きっぱなしにした"街"を取りに行った。
弟の部屋を開けると弟は何かの本を夢中で読んでいた。弟を無視して「街」を置いた棚に手を伸ばす。
ん。ゲーム屋の店名の書かれたその袋がちょっと開いている。
袋に手を突っ込んだ。
ん。ソフトらしきモノがない。代わりにぺラペラのビニールの残骸の感触。
中を覗いた。
そこには感触通り薄いビニールの残骸があった。
ピーッと剥く部分が無惨にピラピラとその中に見えた。
声にならない声を上げるワタクシ。
その声に振り返える弟。心なしか彼の目には涙が浮かんでいるように見える。ナゼ?
そして、彼は机上の棚から無惨にもパッケージが完全に剥かれた「街」を差し出し、こう言った。
「姉ちゃん。このゲームは絶対やった方がいい。」
……。
一瞬、間が空いた。
…どの立場で言うてるのだ。貴様は。(怒)
私はそう言い返したかったが喉が痛いので、言い返せなかった。
そして、彼は"街"が如何に面白いか感動したか静かに語り出した。
心配スンナ。弟。分かって買ってるのだ。私は。(怒)
弟はこの週末で全てのシナリオと隠しシナリオをもクリアし、公式ガイド本の存在を知ると、その熱が冷めやらぬまま本屋へ行き購入。
そして、その中の袋とじになっていた珠玉のアナザーエピソードを読み、涙していた所に私が突入。
「隠しエピソード"花火"は絶対読んで。そして、ゲームが終わってからこの本の袋とじ部分の"雲烟過眼"も絶対に読んで。頼むで。」
と、本体、ソフト、公式本を私にしっかりと手渡した。
涙声で。
4日前「こんなゲーム面白いわけがない。」と、言っていたのは誰だったのか。
私が発熱前に見た幻だったのだろうか。
あと、私のピーッと剥くヤツの楽しみ返せ。
4.人生はテレビゲームと共に。
長い文章をここまで読んでくださり有難うございました。
こんな感じのよもやま話は、現在進行形でまだまだありまして。
今回は古いタイトルばかりでしたが、新しいタイトルも機会があればまたご披露できればと思います。
さて、そんな私は声を上げて「ゲーム大好き!」と、言えるかというと、正直どうだろうかと思っています。
周りが筋金入りのゲーム好き人間が多すぎて感覚が麻痺しているのかもしれませんが。
ただ、振り返るとなんだかんだと私の人生の傍にはゲームがあり、学んだり慰めて貰ったり生きるヒントを沢山貰ってきました。
もう一つ踏み込んで言うならば、私の人生において本や漫画、映画や絵画を観る事と同じ様にゲームから感動し、考えさせられ、なんなら恩があると言っていいタイトルさえあったりします。
その中で三つ目の「街〜運命の交差点〜」には考える事が本当に沢山ありました。
私は若い頃、気の小さい自分が嫌でしたが、今や少し自分の人生を図々し目に生きようと思い日々過ごしています。
当たり前の事ですが、自分の人生の主人公は自分だから。
よくある言葉ですが、言葉では知っていても長くその意味は分かって無かったように思います。
生まれも年齢も立場も境遇も違う8人が、渋谷という一つ街で懸命にもがきながらも自分の進む道を探す姿。人生、色んなルートがあり、必ずしも幸せで終わるわけではないこと。自分の運命や行動に向き合う事。
その言葉に意味を持たせてくれたきっかけはこのゲームでした。
そしてもう一つ。
自分の人生の主人公は自分であると同時に、他の人の人生から見れば私は脇役であること。
自分の行動が大小、善し悪しに関わらず、知らずにいつかどこかの誰かに影響を与える可能性がある。それは大変興味深く、人との関わり合いの上での醍醐味でもあると思うのです。
私も懸命に生き、その末に善しも悪しもそれがどんな形でも誰かの意味になれれば。
チョイ役でもどうせならば名脇役でありたいと願うのです。