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その表現力に乾杯!

noteを観ていつも思う。

皆さん素敵な言葉で自分の想いを真面目に向き合い、丁寧に綴られている。
どんな系統の記事でも、素敵な表現や言葉を拝見すると、考えさせられる。

言葉って面白い。
同じ意味でも、アプローチの仕方でそれは神妙に受けとられたり、笑いを誘ったり。

この言葉のマジック、不思議な事に語彙力、表現力があればある程、説得力だって増す。

今回はそんなお話。

私が昔からどんな小粋なトークを繰り出すも、言葉というものついて「こいつには勝てねぇ」と、思う奴がいる。

弟だ。
45歳、会社員。

私の記事にたびたび出現するこの男。

長い付き合いだけあって、彼についてのネタの引き出しは山ほどある。

まず、小さい頃からこやつに口喧嘩で勝ったことがない。私より2学年も下のくせにのらりくらりと言い逃れしたかと言うと刺すように痛い所をつく。
正にヒットアンドアウェイ。
100%弟が悪い案件であっても、あれよあれよと言いくるめられていた。

そして最終的に私は何も言い返せなくなり、口で表現できないもどかしさにブチ切れ、実力行使に出る。

「いただだぁああああ!!!」

叫ぶ弟。噛み付く私。
噛み付くと言っても表現的なものではない。
半泣きになり本当に噛み付いていた。

小学生なのにやる事が幼児。
言葉がまだちゃんと操れないお年頃(2.3歳児)がやるやつ。しかも相手は弟。がっつり年下。

なので一時期、口げんかをすると最終的に噛まれた弟が母にチクり、そのまま私が母に怒られるという流れるような様式美が確立していた。

ちなみにヤツは小学2年の時、クラス文集で「ぼくのおねえちゃん」と言うタイトルで、その様式美の一部始終を文集に書き(イラスト付き)、弟のクラス全員が知る所となった。暫く弟の友達には「ヤバイ。噛みつくお姉ちゃんや。」と言われ続けていた。
事実だが屈辱。自業自得だが屈辱。

思い返すも、もうこの頃から奴には負けていた。

今は流石にお互い大きくなり、昔の様なケンカもなくなった。違う事があったとしても、意見の交換程度でお互い納得し終結している。平和的解決。
もう私が彼に噛み付く必要もない。

しかし、彼の言い回しというか表現力は今も健在で、彼もその能力を遺憾無く発揮している。
毎度、咄嗟に思いつくその発想力と瞬発力に感服する。

もう何年も前、友人何人かと集まった時の事。
当時流行してしていたとある漫画(アニメ)の話題になった。
皆、和気あいあいと世間話レベルで話す中、一人がひどく否定的な意見を言い出した。

「話が暗い・暴力的・血生臭い・見るのがしんどい」そんな類の諸々等々を延々…。
何を求めるかは人それぞれだし、どのような感想や意見を持ってもいいとは思うのだが、ただ私は好きだった作品だったこともあり、その否定ぶりはあまり気分の良いものでは無かった。

弟からお勧めされた漫画であった事もあり、つい弟にボヤいた事があった。

瞬時、弟は黙って真剣な顔をした。

"いらない事言っちゃったかな。"と反省した。
弟はこう見えて優しいところがあるので、「そんなの姉ちゃんが面白いと思ってるなら、気にしなくていいんやで。」そんな気を遣った言葉が返ってくると思った。

しかし、意外にもその口から発せられた言葉は

「ウン!僕はその人はもうずっとトムとジェリーを観ているといいと思うヨ!!」

「はい??」

思わず聞き返してしまった。

「即死レベルの怪我でも瞬時に愉快な感じで回復し悲壮感ゼロ。たまに天に召される時もあるけど泳いで身体に戻って無事生き返る。しかも終始暴力的だがその表現全ては笑いに帰結し、しかも年代を越えて誰が観ても面白い。そらヴィレヴァンで子供も釘付けになるで!」

そして高らかにトドメを刺す様に、真顔でこう言った。

「観てるだけで、あんなにHAPPYになれるアニメないで!!!」


「お……?お?おーーー???」
そんな声を上げながら、
私は何だかよく分からないが、気が付いたら拍手をしていた。
何だか本当によく分からないが、物凄く納得していた。
ちょっと洗脳された感がない訳では無かったが、とりあえず私の中のモヤモヤは結構どうでも良くなっていた。

思わず「び…Be happy?」と、呟くとこれまた力強くいい発音で「So happy!」と返ってきた。

後から考えると単に「人が不快になる程、作品の文句を垂れ流すような奴は、もう黙ってトムとジェリーを観とけ!」と言ってるだけなんだが。

なんだこの妙な説得力。

独裁者になったら一番アカン奴やと思う。

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そして、最近の話。

弟の会社は割と山手の方にあり、趣味のマウンテンバイクで通勤している。
割と交通量の多い川沿いの土手を走っていると、前方に何か大きなものが落ちていたそうだ。

進路方向の車道より歩行者の白い線寄りにそれは落ちており、車はセンターラインを少し割ってそれを避けて行く。

何だろうと近づくにつれ、それは全貌を現す。

それは鹿の死体。結構なサイズ。

山が近いとはいえ何でこんな川沿いにそんな物が落ちているのか脳がついて行かず、軽くパニックになったらしい。

また位置的にそのご遺体ギリギリを縫う様に走る事を余儀なくされ、弟は自転車で踏まない為にも死体を間近でガッツリ見ながら走る事に。
通り過ぎる瞬間に自分でコントロール出来ない「ヒィギィャァアアァアア!」という絞る様な声が喉から出たと言う。弟、御歳45歳。

しかも、どうやら何度かはねられたのか鹿の胴体は、酷く損傷していたという。

私は「えー?!ダンプとかにはねられたのかな?」と、聞くと弟は「うーん。分からんけど、断面は割とちゃんとしてた。」と言う。

「断面?」
道路での損傷と聞いて、てっきり強い衝撃による感じだと思っていたのに断面とな。
あまり想像できない状況に、「え?断面?どんな感じなん?」と、聞き直すと遠い目をした弟から出た言葉は、

「 シ と カ に分かれてた。」


「 シ と カ !!!」

私は"リピートアフタミープリーズ"と、言われた後のようにその言葉を続けて言った。


ウン!分かりやすい!
しかし、情報が端的過ぎてワカラン!!


私は「え??首で切れてるとか、腰より後ろとか?」と、再び聞き直すと今度は一拍置いてから

「うん。 シ /  カ やな。」

 (  し "スラッシュ" か )

と、弟は言った。

かなり真ん中辺りで分かれていたようだ。

弟は以降、もっと詳しく鹿の状態を聴こうとしても「" シ/カ "(しスラッシュか)としか言いようが無い。」と言い、それ以上は答えてくれなくなった。

スラッシュの使い方が斬新。
字面で状況を表現するテクニックに驚きつつ、それ以上は私も聞かなかった。

私は「…表現が高等すぎる。」とだけ呟いた。

弟はその鹿を思い出したのか無表情だった。

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ひょっとしたら弟は話の持って行き方が上手いのかも知れない。思えば幼少から彼の話は理路整然としており、分かりやすかった。

最後にこんな話を。

我が息子が小学5年生の時に新しい校長が赴任してきた。偶然にもその先生は弟の小学校1.2年生の時の担任。
当時、私はPTA役員をしており、先生と話す機会があった時に話のネタで弟の話をした。

先生は懐かしがって、色々と思い出してくださっているうちに「あー。そうそう!彼、文集に書いてたなお姉ちゃんのこと!」と、笑いながら言った。

まだ生きてるの?!そのネタ!!!

文集とは言わずもがな、あの様式美を綴った文集だ。
めちゃくちゃビックリした。

先生は「彼の字は本当に汚い字だったけど、2年生とは思えない引き込まれるような文章で印象深かった。お姉さんの事を書いてたんだよ。まぁ、知らないか。」と、目を細めた。

…めちゃくちゃ存じ上げてますとも。
そして弟は今でも字が汚いです。

学校の先生が何十年も越えて思い出すような印象に残る文章なんて、そうそう無いんじゃないだろうか。
ちょっと羨ましささえ感じた。

因みに文集の事はすっとぼけた。
だって内容が内容だから。

我が弟、教科書で好きな読み物は中島敦の「山月記」。愛読書は孫子の兵法。本は何でも読む。歴史に想いを馳せ考えることが好き。少々不器用。
経済学部卒。
文学部か歴史学部の方が良かったんじゃなかろうか。絶対間違ってるよアンタ。

そんな弟に何十年と言葉のマジックに翻弄されている私。

今でも彼は詐欺師並みの屁理屈を言ってくる時もあるが、昔と違い私も反論できる度量も若干備わってきているので、以前ほど丸め込まれなくなった。

弟よ。覚えておけ。いつまでも騙されてるお姉ちゃんじゃなくってよ。(by 46歳)

ただいつも彼と話していて思うのだが、言葉だけでなく、なんで物事の切り口がこんなに斬新なのかと感心する。

決して話が上手い訳でも無い。
滑舌がいい訳でもない。
コミュニケーションが上手い方でも無い。
でも彼の言葉のマジックはいつも見事だ。

そして彼は人と話す時、とても楽しそう。

そんな姿に私はちょっと憧れるのだ。


言わないけど。



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