神社に願いを。
うちの町内には古い神社がある。
私はそう信心深い方では無いのだが「ここぞ」という時にはここに必ず参る。
正に困った時の神頼み。お願いごとをする時は切羽詰まった顔で来るからか、氏神様はよくお願いごとを聞いて下さる。氏神様にプレッシャーを与えているようで、ちょっと申し訳ない。
そして、一通り解決したら今度は満面の笑みで報告に来るのだから、氏神様にしたら「調子のいいヤツ」と呆れられていると思う。
そんな私の拠り所の氏神神社。
毎年9月になると、雨乞い祭りがあり、神社の境内ではその奉納踊りが披露される。
灯りがともり、その周りを衣装に身を包んだ踊り手が踊る。
とても幻想的だ。
踊りの時間になると、さほど大きくない神社の敷地に地域の老若男女、時にはカメラを構え遠方から来たという方も混じり、境内は人がひしめきあう。
神社は平安から続き、この踊りは室町時代からのもの。その歴史的かつ、古来から住むこの土地の人々の願いを形にした踊りに人は惹かれるのだろうか。
そんな小さくも歴史のあるこの神社なのだが、さぞお堅いかと言われれば全然そうではない。
近年、夏休みになると小学生に募集をかけ、踊りの講習をし、それまで由緒正しく、衣装バッチリの大人だけで踊っていた中に、簡単な衣装を纏った小学生が踊るようになったり、地区で作られたゆるキャラを雨乞い祭りに招き入れたりと、色々斬新なことをしている。
その柔軟さ、懐の深さそして、ちょっと時代に合わせて攻めてる感が私は好きだ。
とてもご高齢揃いの氏子総代の方々と宮司さんが運営されてるとは思えない。
そして祭りの日、その境内の中にあまり注目されないが、舞台の周りや、くくりつけられる所には御祈祷された方の名前の書かれた紙が貼られた沢山の板がずらっと並んでいる。
○○町 家内安全 田中一郎
田村二郎
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商売繁盛 山田太郎
:
こんな感じで(本当は縦書きだが)ご丁寧に手書き。
お祭りのひと月ほど前から、氏子総代の方々が夏の暑い中、各家のポストに「献燈申込書」を配られ、集め、宮司さんが祈祷される。1名目500円。申し込みは自由。
古い土地だが、新しく来られた方も多い地区にも関わらず、この御献燈の申し込みはいつも多い。
どこのどなたか分からない名前が殆どなのだが、何だか、ついついその名前の書かれたものを一通り見てしまう。
古来よりいつの時代も人々の願いは不変的。その願いを祈祷し祈りを捧げるという、人の心の営みに感動する。雨乞い祭りも然り。
祈りを通して、昔から現代に生きる人の繋がりを感じてしまう。
変わるもの変わらないもの。どちらも大事で尊い。この神社はそのバランスが絶妙な感じがするのだ。
いつだったかどこかの町内の「健康長寿」の項目を見ていると、人の名前の最後に、さも当たり前のように一名目だけだが、
"犬のタロー"
と書かれていたことがあった。
この土地に来て、雨乞い祭りを毎年観ること、十数年。
ワンちゃんの御祈祷は初めて見た。
きっと老犬なのだろう。
ワンちゃんとて大事な家族。健康を祈る気持ちにはヒトと動物になんら違いはない。
そしてこんな変化球をも受け入れる懐の深さ。
こういうところがイイ。
「ワンちゃん、長生きしますように。」
私はフフフと笑った。
そして今年、このコロナ禍、雨乞い祭りは早々に中止が決まった。
ただ御祈祷の神事はやるそうで、今年も変わらず「献燈申込書」がやってきた。
用紙にはいつもの挨拶文に加え、コロナ禍で踊りは中止にするが、神事は行う事。当日は神社は例年通り提灯に灯りをともす旨が書かれていた。
そして、その下にはいつもの様に希望の祈祷のメニューと名前を書く欄。
ふと気づく。
いつもと違うことがひとつ。
除災招福の横にある"コロナ除滅"の文字。
今ならでは。時代に合わせ人々の不安や願いに寄り添うことを忘れない。さすが我が氏神神社。
そしてなにより、こんなの書かれたら「お願いしなくちゃ!」なんて気になる。
攻めるなぁ。氏神様。もとい、宮司さんと氏子総代の方々。
氏神様は私のお願いごとは今のところ、全部聞いてくださっている。
そんな期待を込めて、私は「除災招福(コロナ除滅)」の欄に家族の名前を書いた。
そして、神事にはいつもの諸願成就祈願、祖霊感謝、戦没者慰霊の他にコロナ禍除滅祈願もされるそう。
ちょっとワールドワイドなお願いで大変だと思いますが…氏神さま、どうぞよろしくお願いします。