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かつてリミテ専だった私たちへ
2024年が終わる。
私の今年の挑戦も終わった。
年初に目標に掲げたアリーナチャンピオンシップへの出場は、ついに叶わなかった。
Day2に4度駒を進め、その背中は見えてきたのに、届かなかった。
リミテッドだけでは競技では戦えない。
そう思って今年から構築に取り組み、リミテ専を辞めた。
お陰で曲がりなりにも構築の腕は上がった。
予選ではリミテッドより良い成績を残せた。
それでも、目標は遠かった。
構築の腕と引き換えに、リミテッドが弱くなった。
理由は咀嚼できていないが、構築に時間を割いたことはその一つであろう。
かつて当たり前のようにできていたアリーナオープンのインマネも、今年は一度しかできなかった。
プレイブースター化に感じるわだかまりもまだ解消されていない。
そして、私の目標が消えた。
今年の挑戦の終わりと同時に、目標も消えた。
アリーナチャンピオンシップのフォーマットから、リミテッドが消えていたのである。
今年の5月から予選のルールが改変された。
極端に狭かったアリーナチャンピオンシップの門戸が広がったことを、初めは喜びを以て受け入れた。
だが蓋を開けてみると、構築だけの大会に変わっていた。
私は、ただ上手い人と卓ドラをしたかった。
練習では何度かそのような体験はできている。
だが、求めているのは一発勝負の、結果の求められる体験だった。
それが唯一あるのがアリーナチャンピオンシップだと信じて、今まで目標にしていた。
そのためには構築の練習をすることも厭わなかった。
目標を達成する前に、目標が消えてしまった。
私にとってMTGはアリーナがすべてだった。
当然、私にとっての競技MTGもアリーナだけだ。
私は休日の昼間をMTGには充てられない。
昼間には、MTGよりも大切なことがあるのだ。
そんな私には、夜間にスマホでも競技ができるアリーナが唯一の舞台だった。
紙のMTGに興味はないし、時間的に遊べることもないだろう。
MTGを始めたときの競技シーンはアリーナだったから、憧れもない。
そもそもドラフトならデジタルの方が媒体として遥かに向いている。
アリーナが競技から切り離されていく実感がなかったと言えば嘘になる。
それでも、アリーナオープンが高頻度で開かれていることに、わずかな期待だけを残していた。
その望みが、ほとんどなくなった。
理由がなくなった。
今の私は、アリーナを遊び続ける理由がないのである。
ただ、やめきれずに惰性で遊んでいる実感がある。
娯楽なのだから楽しむために遊べばいい、という声もあるだろう。
でも私にとっては、目標に近づくのを実感することが娯楽なのだ。
目標がなくなることは、娯楽でなくなることも意味している。
それでも私はリミテを愛している。
リミテの腕は落ちているかもしれない。
プレイブースター化にも違和感がある。
それでも、リミテのゲーム性は構築より高いと思う。
リミテがあるだけでMTGを選ぶ理由にはなる。
今日も私は目標をぼんやりと探しながら、クイドラでピックをするのである。
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