辿り着く先
とある人のエッセイを読んだ。
読みながら心臓がどくどくと脈打って、羨ましいという気持ちでいっぱいになった。バズって夢を掴んだのも羨ましい、憧れの人に認められているのも羨ましい、こんなに類稀な表現ができる彼女が羨ましい。
でもそれは彼女が書き続けだ結果だと理解しているから、何もしなかった今までの時間を悔やんでしまう。
そこまで考えて、羨ましいとも悔しいとも感じている自分に驚いた。
私は誰かに自分の文章を読んでほしいと思っているのか。彼女のような表現力がほしいと思っているのか。もっと早く書くことに辿り着きたかったと思っているのか。
どれもこれも物語を書き始めて日が浅い人間の心情とは思えない。なんて図々しくて傲慢なんだ。恐ろしい。
書くということは、アニメや漫画にハマっていたときにSNSに絵を描いてのせていたときに感じたような、いや恐らくそれよりも明確な、才能に打ちひしがれ、私が一番恐れる「他人からの批評」を受けることだ。
考えただけでも臆病な私には耐えられない世界だろう。そう分かっているのに、書きたいと思う気持ちを止められない。
この気持ちは一体どこに辿り着くのだろう。RPGで岐路の先を調べてからでないと進められなかったような私が、何も見えない、足元が崩れ落ちるかもしれない道を歩こうとしている。
辿り着いた先が誰かの宝物だったものたちが集まるゴミ処理場でもいい。奈落に落ちて体中ボロボロになってもいい。私はもう歩かずに生きる苦しさを知っているから。
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