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あの頃、薄れゆく記憶、確かに残るもの。

ふと、彼女との1年記念で作成したビデオを見返していた。

付き合う前に行った水族館や、大学卒業前に行った北海道旅行。
ディズニーランド・シーや、江ノ島旅行。

改めて見返していると、たった1年なのに、
とても濃密な時間で、色々な場所に出掛けていたんだなと、
少しずつ収納されていた記憶が取り出されていく。

鮮明に覚えている瞬間もあれば、
少しずつ薄れていっている出来事があることにも気付く。

あの、水族館に行った時に、
2人は何を話して、何を感じていたんだろう。

水族館のなか、クラゲが一面に数多く広がった、
幻想的な映像が流れた瞬間に、

話の内容は、かなり薄れてしまっており、
一方で言葉にならない淡い感情だけが発現した。

決して消えてはいないが、
少しずつ記憶の図書館の中で埃を被り始めているのだと思った。

5年後、10年後に、
この記憶はどう変容していくのだろうか。

次々と連続的に切り替わる映像に、
反射的に心が反応し、これもまた当時の感情が、
発現しては消えていく所作を繰り返している。

その記憶が燈となって、
辛い出来事を乗り越えられることもある一方で、

時として、その鮮烈な感情の1つ1つが、
自分を傷つけることもあり、相手を傷つけることもある。

僕も沢山ある。1つや2つじゃなく幾つも。
相手に与えてしまったものもあるし、
相手から受けたものもある。

しかしその感情の集積が、
人生の前進を意味しているのではないだろうかと思った。

人生は良いことばかりではない。
むしろ辛いことの方が多いんじゃないかな。

それでも、その暗い海を泳ぎ続けていると、
小さな光が差し込む瞬間がある。

その有限の光を大切に掬って、
ゆっくりとその時間を五感で堪能する。

その光は、定量的な形を帯びて残らないが、
確かに感情として、僕たちの中に残り続ける。

そんな時間を探し続けていきたいと思う。

1年が、わずか十数分にまとめられた映像を見終わり、
形にはもう残っていない、光の集積を確かに感じていた。

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