2月、軽井沢スキー場での記憶。祈りの交錯と花瓶。
一度割れた花瓶は、本当に元には戻らないのか。
接着剤で接合すれば同じ形には戻るかもしれないが、
そこにはヒビが入っているし、
もう一度、同じ工法で花瓶を生成しても、
果たしてそれは同じ花瓶と言えるのかわからない。
やはり一度割れてしまえば、
もう元には戻らないのだろうか。
「時間的に一回しか滑れないね。どのコースにしよっか。。」
2泊3日で彼女と軽井沢旅行に行った時の記憶である。
これまで噛み合っていたはずの歯車が、
何かを起因に、少しずつ軋み始め、湾曲し、お互いにギクシャクし始めていた。
その起因が、時間なのか、
社会に出た後の環境の違いによる思考変化なのか、
もしくは他の何かなのか、それはわからない。
段々違う方向へと分離していく二つの歯車を、
必死に色んな手段で再構築しようと試みるものの、
どれも根本的な解決にはならなかった。
AM11:00前には到着していたはずなのに、
3連休中で、ちょうど大混雑日にあたってしまい、
レンタルやらご飯やらリフト待ちやらをしていて、
やっと滑れる。と安堵した時にスマホを確認すると、
時刻はもう15:30を過ぎてしまっていた。
時間的に、一度頂上から地上まで滑って終わりという所だろう。
そのスキー場は、一番上の地点から3つのコースに分岐していて、
さらに途中でまた道が分岐していた。
傾斜の急なコース、直線が多めなコース、初心者が滑りやすい傾斜が緩やかなコース。
結局、僕たちは初心者コースを選択し、リフトから降りた。
1000mを超えたゲレンデから見渡す世界は、
波が消失した海原のようで、静かに僕たちを包み込んでいた。
白く細長い雲海が浮かんでいた。
ふーっと低速で暖かい息を地上へ吐き出すと、
その雲海のような煙が広がっては消えた。
煙は、大気へと消えて、
再び姿を現すことはなかった。
僕も、彼女も、その煙を何度も大気へ生み出した。
生み出して3秒後にはもう、
初めから何もなかったかのように消失した。
「じゃあそろそろ行く?転ばないでね笑」
冗談混じりで確認をし、
僕たちは地上へと結ばれた初心者コースを滑走し始めた。
スノボーサークルに入っていたらしく、
さすが、スピードはゆっくりであるものの、
ボードを使いこなして上手く滑走している。
僕たちが最後尾だったらしく、
頂上から迫ってくるインストラクターらしき数人に、
背中を押されるように地上まで滑走していった。
「初心者コースにしてよかったね。程よく滑れた笑」
「これ以上角度あったらやばかったね笑」
なんとか滑り終え、地上に着いた頃には、
僕たちはもうクタクタだった。
ふと後ろのゲレンデを見返すと、
僕たちが通らなかった2つのコースを気持ちよく、
滑走していた人の姿が浮かぶ。
僕たちが滑らなかった、
もう2つのコースにはどんな景色が広がっていたんだろう。
あのコース以上に壮大な景色があったのか。
地上まで滑り終わった今、
もうそれを確認することはできない。
大気へと放った白息が、
消えて再び姿を現さないように
世界には一方通行の事象が存在する。
一度割れてしまった花瓶もまた同様である。
そんな事象が存在するからこそ、
僕たちは、その一方通行の事象を識別し、
もしそれを見つけたならば、
花瓶を丁寧に運ぶように、慎重に扱わなければならない。
それを分かっていたため、
僕と彼女の方向性の乖離も同じように、
慎重に、音を立てないように整合しようと試みていたはずだった。
夢を追いたい、挑戦したい彼女。
地に足着いて将来に向け計画的に歩いていきたい自分。
僕たちが知らない間に、
火山のマグマが地下に蓄積していたようで、
ある日お互いに爆発してしまった。
僕が彼女のため、そして二人の将来のために、
想って伝えた言葉が、
彼女にとっては、
夢、これからの人生の否定になってしまったのである。
ここで花瓶は割れてしまったのだろうか。
薄々、もう一緒にはいられないと、
お互い悟っていた。
そこから、少しの間連絡を取らなかった。
目前に迫る試験の勉強があったし、
自分の考えを見つめ直す必要があると思った。
数日が経過して、これまでの僕は、
自分の勝手な正論で、彼女の将来を閉ざしてしまっていたんじゃないか。
ということに気付いた。
「彼女のためを想って」「二人の将来のために」
と想っていたものは、相手のため、二人のためという、
自分の「思い込み」だったんじゃないか。と。
”自分にとっての”人生の正解だったんじゃないかと。
僕が自分の考えを見つめ直しているときに、
とある記事を発見して、それが考えを見つめ直すきっかけになった。
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「若い男女が地方で一緒に暮らしていて、
彼女の方が東京に出て新しい仕事に挑戦してみたい。という夢を語ったら、
彼氏が彼女に怒った。」
私はその話を聞いて、ひどいと思った。
自分のエゴで彼女の夢を閉ざしてしまうなんて。
もし本当に相手のことが好きなんだったら、
行かせるでしょう。と思ったから。
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頭を打たれたように衝撃で、
自分の考えが、エゴであったことに気付かされた。
それと同時に、心と頭にのしかかり続けていた、
負のおもりがスッと溶けて消えた。
その瞬間、昔学んだ2つの知恵、
収納されていた記憶の図書館の奥深くから
引っ張り出された。
大愚和尚というお坊さんが、
それを詳しく解説した動画を上げてくれている。
そして2つ目である。
変えられるものと、変えられないものを、
識別しようとせずに、
ただ努力だけで分離していく歯車を必死に、
繋ぎ止めようとしてしまっていた。
冷静に考えてみれば、
自分の人生を一番尊重してくれないことは苦痛であり、
自分を殺すことになり、将来それは後悔に変わる。
彼女にとって、挑戦すること、夢を追うことが
いま、彼女の人生で最も必要なことであり、一番の幸せである。
その上で、現実を見据えた正論を振りかざすことは、
彼女の人生の一番の幸せを否定してしまうことになる。
自分の正論を振りかざすことは、
彼女にとって正解ではないことに気付かされた。
第一、正解の人生なんてものも存在しない。
お互いに結婚も考えていて、
「結婚指輪、何がいいかなぁ。カルティエとか良さそう!」
なんて話していたし、
お互い両親にも紹介していたし、
数ヶ月後に一緒に住む計画まで立てていた。
だから「二人が一緒にいる将来」を
一番に考えてしまっていた。
お互いに、お互いがそばにいる将来を望んでいたから。
しかし、僕があの日、彼女に真剣に訴えかけた言葉は、
優しさではなく、制約だった。
必ずしも二人が一緒に居続けることが、
優しさや愛とは限らず、
むしろ時としてその考え自体が、
相手に足枷をかけてしまうことになり、
お互いの人生を、将来を、可能性を、
潰してしまうことになることに気付かされた。
沈む船の上で慌しく、手を引き合っているのと同じだ。
沈む船を離れる勇気を出して、
それぞれが新しい船へ乗り移ることで、
これからの旅路が拓け、希望ある未来を選択する余力が生まれる。
「時として、別れが最大の愛となることもあるよ。あなたもいつかそれをわかる時が来る。」
ビールを飲みながら、煙草の煙をふーっと吐くように、
吐露したスナックのママの、いつかの言葉が脳内をぐるぐる回る。
ところで、割れた花瓶は戻らない。ならば
それは置く場所が間違っているんじゃないか。と思った。
花瓶の底が丸みを帯びているのならば、
平らな面ではなく、丸く窪んだ場所に置くべきじゃないだろうか。
歯車は1つじゃなく他の歯車とも連動している。
その、他の歯車と連動していくうちに、
少しずつ変形していき、噛み合わなくなってしまった2つの歯車は、
力づくで元に整合しようとすれば、
いつか音を立てて弾け、2つとも使い物にならなくなってしまう。
それならば、新しくカチッと噛み合う歯車の隣へと、
そっと配置を変えるのがbetterなのではないか。
3月。白息はもう消えて、雪も溶けて、
季節を超え、春になってしまった。
春、暖かい庭園で桜を見たこと。
夏、蜃気楼のなか、長い距離ドライブして、プールへ行ったこと。
秋、記念日を祝って船の上でご飯を食べたこと。
冬、富山で降り積もる雪を浴びたこと。スノボへ行ったこと。
永遠がないんだとしても、永遠を超える一瞬が、
確かにそこにはあった。
離れないように大切に、必死に、掴んでいた手を
いま、頑張ってきてね。と優しく離すべきなのかもしれない。
新しい船での旅路を、埠頭で静かに見守る勇気を。
yama
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