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「東電の「安全文化」には疑いがある」、「規制委の判断には疑問が残る」という意見に同意します。

 12月28日の朝日新聞社説は、「東電と原発 再稼働を急がせるな」というものです。同日付けで「東電への不信拭えぬ地元 柏崎刈羽の運転禁止、解除も見通せぬ再稼働」という記事も出ています。

 原子力規制委員会が、東京電力柏崎刈羽原発への事実上の運転禁止命令を解除した、「自律的な改善が見込める状態」と判断したためというのに、どうも納得がいきません。何をもって「自律的な改善が見込める状態」と判断したのかが分かりませんし、東電が原発を動かす適格性も「ないとする理由はない」としたのも、「適格性がある」というわけでもないと思います。「規制委の山中伸介委員長も今回の決定で東電に「お墨付きを与えたわけではない」と繰り返し」たとしても、ダメということならば運転禁止命令を解除しないはずなのですから、結局はOKということになるわけですで、意味はないでしょう。逆に「「お墨付きを与えたわけではない」と繰り返」すくらいならば、何故、運転禁止命令を解除したのかと言いたいですね。
 原子力規制委員会は、ある意味、自分たちの権限を放棄して責任逃れをしたと言えるのではないでしょうか。

 焦点の地元同意に関しては、新潟県が慎重な姿勢のように見えますが、今までの東電のことを考えれば、「東電がまたやらかさないかも心配だ」と考えるのが普通だと思いますから、これは当然でしょう。
 気になるのは、原発が立地する柏崎市の桜井雅浩市長と、刈羽村の品田宏夫村長です。地域経済に原発に依存する側面が強いため、その部分での判断を重視する可能性があります。特に刈羽村の品田宏夫村長は、かねてから「規制委が安全性を認めた原発の稼働に地元同意は必要ない」との立場を示しているので、今回の規制委の判断は林芳正官房長官の発言のように「再稼働に向けて」ということだと思っていることでしょう。

 社説にもあるように、「国策で原発を推進した揚げ句、世界最悪レベルの事故を招いた以上、原発の再稼働について国が責任を負うのは当然」なのに、岸田政権は「山積する難題を解決する道筋も示さず、国民的熟議も欠いたまま短期間に」既設原発の最大限活用にかじを切ったのは、「東電の収支改善のために日程のレールを引」いているとしか思えません。

 「避難に使う想定の国道では、昨年の豪雪で38時間の立ち往生もあった。原発事故との複合災害に十分対応できるのか。」と社説では述べられていますが、おそらく対応できないと考えての文章だろうと思いますが、多くの人もそう思っていることでしょう。
 そもそも、「柏崎刈羽の電力は、地元では消費されず、大半が首都圏に送られる。福島第一原発と同様の構図」なのです。
 「政府がなすべきは、地元の不安に真摯に向き合うこと」なのですが、福島の事例を考えれば分かるように、事故の際に直接被害を被るのは地元住民なのですから、向き合う相手は首長ではなく、一般の地元住民でなくてはなりません。地元住民および新潟県民の東電への不信、不安をきちっと拾えば、簡単には再稼働との判断はできないはずですから。


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