三十路を過ぎて、こんな自分になるとは想像できなかった
うちのぬいぐるみたちがどうしようもなく愛おしい。宇宙で一番かわいい。
そう、我が家では現在10を越える大切なぬいぐるみたちと同居している。
もともと小さい頃からお気に入りのぬいぐるみたちといつも一緒にいたとか、集めていたとかではまったくない。
彼らが私の生活に欠かせなくなったのは、ここ2年くらいのことだ。
2年前、結婚する前に夫と暮らし始めた。
その時に、とあるキャラクターのぬいぐるみが向こうの家からやってきた。べったりというわけではないけど、ちゃんと名前を呼んで丁寧にそれらを扱う夫の姿はとっても意外だった。
意外だったというのは、夫のイメージとギャップがあったとかそういう話ではなく、今まで私の中でそういった習慣がなかったからだ。
その姿はいつのまにか自然なものとなったが、2−3ヶ月経っても私はそれを眺めているだけで、一緒に可愛がるということはしなかった。
きっかけが訪れたのは同棲して半年くらい経った頃。結婚式の引き出物カタログで某キャラクターのぬいぐるみ(兼抱き枕)を私が頼んだことだった。
この頃は、まだ夫とお互いの生活や価値観のずれが多々あり、時折私はいじけて寝室を抜けだしてリビングで不貞腐れたり、解消できないもやもやに唸りながら、夫に背を向けて眠りについたこともあった。
誰かと一緒に暮らす、ということは結構大変なんだと身に沁みて感じていた。夫もおそらくそうであったと思う。新しいことを始める、自分のテリトリーを全てじゃないけど共有する、ということは楽しいけど難しい。
そんな時に、胸の内をこぼすのがだんだんとこのぬいぐるみになってきた。ぬいぐるみに話しかけると、不思議なことにだんだんに心が落ち着いてくるのだ。
そのうち、ぬいぐるみが言葉を返してくれるようになってきた。それは、自分自身の問いをぬいぐるみという第三者を通して考える、そして戻す、という自分を客観視できる行為だった。
そんなことを繰り返していくうちに、一人でパンクして不貞腐れることも少なくなったし、だんだんと私もぬいぐるみに愛おしさを感じるようになってきた。いつのまにか、夫と二人で自然に彼らたちを愛でるようになった。
ぬいぐるみを一緒に大切にしていくうちに、自分を客観視してくれるものでなく、自然とそこにいて生活を共にするものになっていった。
そこから少しずつぬいぐるみは増えてきているが、彼らはそれぞれのアイデンティティがあって一人一人ちがう性格だ。だからいろんな考えや言葉が、気持ちがこの家にはある。
そんなの夫婦二人の中で決めているものだろ、と言ってしまうとなんとも味気ないが、それでいいじゃないか。
ぬいぐるみがいる生活を続けて感じたのは、コミュニケーションがとても豊かになるということ。夫とも、自分とも、ぬいぐるみとも。人間は二人だけだが、ぬいぐるみたちとの共同生活は思いの外とても楽しいし賑やかだ。
ぬいぐるみを通して夫に言い辛いことを伝えることもある。この場を想像するとなんとも滑稽だが、自分の考えを伝えることが苦手な私はとても助かっている。
何回も読み返した大好きな漫画、渡辺ぺこさんの「にこたま」にもぬいぐるみが出てくる。ストーリーの中心となる夫婦の間には、「むるたん」という熊らしきぬいぐるみがいた。私たちと同じように、彼らはむるたんを介して話したり、自分を見つめ直したりしていた。
主人公夫婦にとってどれだけこの「むるたん」が大切だったか、何回も読んでいたのに今までは気付かなかった。何年も時を経て、またこの漫画の見え方が変化してきていて面白い。
わたしたち夫婦とぬいぐるみは多分死ぬまで一緒にいるだろう。ぬいぐるみはもうただのぬいぐるみではなく、家族の一員なのだ。いつの日か、友人たちや兄弟たちに彼らを紹介した話も書いてみよう。
今日は心配事が心配なままだったのだけど、少し光が見えたりということがあって心が軽くなったので、大切なぬいぐるみたちのお話でした。