なぜ、あの人といると"気持ちいい"のか
※本記事のおすすめの読み方
まずは、さらっと読んでほしい。
深く考えたり、一度立ち止まって読むのではなく
一旦雰囲気だけでも感じてやるか!程度で、読み進めてほしい。
こんな大層なテーマ、私ごときに正しく扱える訳がないし
著しい論理の飛躍も散見されるはずだ。
幼い孫が自転車に乗る練習を 遠くで見守るような
そんな温かい心と、都合のいい解釈で読み進めてもらうことを切に願っている。
5分だけ、私にお時間ください!
"気持ちいい"とは何か、近しい概念との分類
文脈による。
どんな文章の中でその単語が使われるかで、結構可変する。
そりゃ当然。
今回は、
人と人との関係性
コミュニケーションにおける"気持ちいい"とは何か
私の圧倒的偏見を頼りに
可能な限り、解像度を上げてみたい。
まず、
"心地いい"とは違う。
"心地いい"には、
安心 や 安らぎ のようなニュアンスが含まれるように思う。
また、vibes や 相性 に大きく左右されるものであると捉える。
つまり、関係性において
互いに備え持った"性格や価値観の相性"と表現してもいい
"心地いい"は、人によって差はありそうだし、
その時々のコンディションによっても、まぁまぁ変化するのではないだろうか
一方で、
"気持ちいい"には
必ずしもsafeな感じは含まれなくてもいいと、個人的には感じている。
また、コンディションや相性にかかわらず
基本的に、誰にとっても
"気持ちいい"人は"気持ちいい"
イメージとして、
スッキリ! で 爽快 な感じは、必要な要素だと考える。
"気持ちいい"は人を選ばない。
そんな感じ(?)
周りに"気持ちいい"人、いる?
もし、比較的にでも
思い当たる人がいるのであれば
その人を想像してみてほしい。
彼/彼女といると、
気付いたら、元気をもらっていないだろうか?
自然と、(自分自身が)笑顔でいることが多いではないだろうか?
あなた自身、その人といるときの自分が好きではないだろうか?
そんな、
一緒にいるだけで
無限の 多様の 正のエネルギーをもたらしてくれる
これが、"気持ちいい"の正体ではないか、と
私は考える。
じゃあ、"気持ちいい"人って、どんな性格?
含まれそうな要素をとりあえず書き出そうとすると、
軽く30個くらいはでてきそう。
今回は、"気持ちいい"を構成する上で
個人的に不可欠だと思う要素だけ抽出することを心掛ける。
全然不十分かもだけど、
私がパッと思いついたのは大きく2つ。
(できるだけ最小限にしたぜ…!)
・自/他の尊重
自/他。
どちらも大事なんだけど、
特に【自分】を尊重できるか はとっても重要かも。
"優先"ではない。"尊重"である。
私が捉える尊重とは、
"無条件に、存在を承認すること"
と言ってもいい。
"〇〇だから認める"
のような、条件付き承認ではない。
無条件であることが条件だ。
現代社会では、
"条件付き承認"があまりに一般化されているように感じる。
年齢や出身、立場、役割に差はあっても
人に、上も下もない
きっと
頭では分かっているはずなのに
どうしても日常に忙殺されると、忘れてしまう。
そういった意味で、自/他を尊重できること。
無条件に、自分と他者を承認できること。
改めて言葉にしてみて思ったけど
うん、
やっぱり必要な要素な気がする。
・正直でいること
まず、
特に現代の日本社会は
正直でいることが、比較的に容易でないという前提がある。
これらは、
年功序列 や 本音/建前 のcultureが強く影響しているのだ、と。
本音/建前なんて、
生き甲斐(Ikigai)のように
言語的にグローバライズしてもいいのではないか、とさえ思う。
話が逸れたようで本筋なのだが、
建前という感覚が
"正直でいること"を、ものすごい阻害している気がしてならない。
"嘘"と表現してもいい。
果たして、建前という感覚が、
関係性において、プラスに作用することなどあるのだろうか。
おそらく、多くの場合
処世術として、"建前"を使うことのインセンティブを錯覚しているのかもしれないが、
そんなもの、あくまで一時的なものでしかない。
一時的な関係性で完結するのであれば まだ分からなくもないが、
仮に、私(あなた)が"建前"を使ったその人と
今後も関係性を持続するのだとしたら、基本的にずっと"建前"を使い続ける必要があるのだ。
想像しただけで心が蝕まれていく…
まぁ、一時的な関係性であっても
個人的には、あまり使わない方がいい気がしてきた。
癖づいてしまうからね。
どうだろう。
この2つは"気持ちいい"に必要な要素ではないだろうか
(急に自信無くなってきた)
どうすれば私は"気持ちいい"人になれるだろうか
今回を機に
"気持ちいい"を、私なりに咀嚼してみた。
これが本当に"気持ちいい"か? は
引き続き研ぎ澄ませていくとして、
暫定的には納得している。
では、どう意識し
どう向き合えば、"気持ちいい"に近づけるのか。
1つ目の〈自/他の尊重〉について
一旦、私の定義する"尊重"のまま、話を進めるなら
尊重することは、そこまで難しいことではない。
人に、上も下もないのだから
自分も、他者も
条件無しに、存在を認めるだけだ。
前述したように
年齢や出身、立場、役割に差はあるのは当然。
これらの概念と、"存在の承認"を分けて考えればいいのだ。
重複するが、"〇〇だから認める"ではない。
存在の承認に、条件は必要ない。
また、漏れなく誰しも、苦手な人は存在するだろう。
かく言う私も、苦手な人はたくさんいる。
仮に、尊重できない他者がいるのであれば、
きっと、それは
距離感を誤っているだけだと思う。
様々な事情で適切な距離を保てない他者(例えば、家族とか)もいるだろう。
それも、みんな同じだ。
ただ、自助努力の範囲内での距離感は調整できるはず。
他者ではなく、自分を尊重できない人もいるだろう。
そういった人たちは
まずは、"他者に尊重のない人"から距離をとること。
そして、自分を無条件に承認してくれる人と一緒にいよう。
もし認めてくれる人がいないと思うなら、連絡ください。
軽く100個くらいはあなたの魅力をお伝えできる。
(ごめん、100は無理かも💦)
2つ目の〈正直でいること〉について
先ほど、本音/建前の話に触れたが、
建前なんて、使わなくていい。
わざわざ、そんな負荷のかかることをする必要はないのだ。
"伝える本音"と"伝えなくてもいい本音"に分類すればいいだけ。
自分自身が、
自らの湧き出た"本音"を受け入れられないから、
変に屈折させたアウトプットとして"建前"がでてくるのかもしれない。
どんな"本音"も、否定しなくていい。
受け入れて、伝える/伝えないの分類だけすればいい。
これは、別に"嘘"ではないからね。
お、なんか解像度が上がってきた気がするぞ
・自/他の尊重
・正直でいること
もちろん、こんなものは
できる/できない なんて明確な境界線はなく
グラデーションでしかないが
確かに、
私の周囲の"気持ちいい"人たちは
この2つの度合いが、相対的に高いように思う。
よっしゃ。
解像度が上がったら、あとはやるだけだ。
"気持ちいい"人になります。
なってみせます。
今回は、私なりの見解を纏めたに過ぎない。
これから、より研ぎ澄ませていくためにも
「ここ全然違くね?」
「ここが分かんねー!」
マイナスでもいいので、
感じたことを
あなたの意見を教えて欲しいです。
僭越ながら、漏れなくあなたの魅力をお伝えさせていただきます。