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日々の気付きは音声配信で、少し重めのものは文字で纏めようと思っています。 スーパー僭越ながら、私のPodcast『底辺Podcasterたちの足掻き』はSpotify/Apple Podcastsで聴くことができます。

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最近の記事

好きになれない過去よりも、好きになりたい未来を選ぶ

先日、 ってか、さっき ルームシェア中の我が家にて ほんの微々たるトラブルが発生した。 尋常じゃない粘りをみせた今年の夏がやっと終わり 1年の中でも数日しか感じられない快適な日常が訪れ始めた。 (どうせすぐ終わるんだろ?) 今朝も、とてつもなくいい天気だ。 いい天気 × リモートワーク といえば 言わずもがな、洗濯物だ。 溜まった衣類を洗濯機にぶち込み もらいもののティーを飲みながらニュースをチェック 洗濯が終わるのを待つ。 住人のカルチャーに似たのか やかましい音を

    • 一人じゃ寂しくて生きられない

      日常というものは、 どうしてか、自らの意思とは乖離して動いているもののように錯覚することがある。 というか、 多くの人にとって、ほとんどの時間が"それ"にあたるのではないだろうか。 こういった文脈において、 よく"歯車"という言葉が使用されるが、まさにそんな感じ。 理想がなんなのか まだクリアに思い描くことはできないけれど、 少なくとも、現実の"これ"は 私が求めているものではなさそうな ってか、違う。 圧倒的に。 目下奮闘中なのが 私自身がまず、この社会の歯車っぽいも

      • 建設的な議論って、ちょー難しい

        日常というものは、 いつ崩れてもおかしくない、本当に本当に絶妙なバランスで なんとか成立しているのだと ことあるごとに痛感する。 あれこれ考え過ぎると、 あれれ、何が正しいんだっけ? のように 自己矛盾っぽいものに陥る。 自分の中で、あってはならないような(そう錯覚する)矛盾との出会いは なかなかに苦しいし、 向き合うことから逃避したくなるときもある。 ただ、そんな矛盾に苦しんでも尚、向き合い続けた先に やっと、理想っぽいものが ちらっとだけ、顔をみせる可能性が生じるの

        • 調和

          とあることをきっかけに 愛について、迷いが生じました。 生成AIとの対話をここに貼ります。 (これ誰でも見れるのかな、見れるといいな) "愛についての問答"

          なぜ、あの人といると"気持ちいい"のか

          ※本記事のおすすめの読み方 まずは、さらっと読んでほしい。 深く考えたり、一度立ち止まって読むのではなく 一旦雰囲気だけでも感じてやるか!程度で、読み進めてほしい。 こんな大層なテーマ、私ごときに正しく扱える訳がないし 著しい論理の飛躍も散見されるはずだ。 幼い孫が自転車に乗る練習を 遠くで見守るような そんな温かい心と、都合のいい解釈で読み進めてもらうことを切に願っている。 5分だけ、私にお時間ください! "気持ちいい"とは何か、近しい概念との分類 文脈による。

          なぜ、あの人といると"気持ちいい"のか

          あまりに変数が多いこの世の中で、"風が吹けば桶屋が儲かる"をいかにデザインするか

          "風が吹けば桶屋が儲かる" "Butterfly effect" どこの国であっても、ニュアンスに若干の差はあれど 同じような状態を形容する表現があるみたいだ。 今回は、この考え方に 自分なりの見解の纏めを試みる。 そもそも "風が吹けば桶屋が儲かる" とは、何事か 現代人において 何点か理解に苦しむ論理があるが、 そもそもこの言い回しは 江戸時代の庶民文化の発展に伴って生まれたものらしい。 当時、失明した人が生計を立てるには 三味線や琴、マッサージなどの 視覚に

          あまりに変数が多いこの世の中で、"風が吹けば桶屋が儲かる"をいかにデザインするか

          不足しているのは、"理解できないこと"への理解ではないか

          外部との良質な関係性を、如何にして創出するか この世の全ての問題は 他者(外部)との関係性によって生じる と言っても過言じゃない のではないだろうか。 中でも、人間同士の関係性による問題が ほとんどを占めている気がしてならない。 パートナー、家族、同僚、友人、隣人。 そして、人間関係とは "言語"と"非言語(色んなものを包含してしまっているけど)" を通した情報の交換で構成され、 特に、"言語"が強い影響を及ぼしていると感じる。 今回は、"言語"を使ったコミュニケーシ

          不足しているのは、"理解できないこと"への理解ではないか

          人生って、伏線張るか、回収するかのどっちかじゃないですか

          "気付き"ってなまもので その瞬間に、勢いそのままに吐き出す(かたちにする)までを行わないと すぐに腐っちゃう気がする。 おそらく、noteのような こういった媒体で発信した経験のある人であれば なんとなくにでも共感してくれるのではないだろうか ここ数ヶ月の間でも 結構良さげなアウトプットが期待できて、纏めを試みていても 一晩寝かせただけで 一気に冷める冷める なんてことが数えられないほどある。 熱のこもらないアウトプットなんて "自分"である必要性を感じられない。

          人生って、伏線張るか、回収するかのどっちかじゃないですか

          安らかに

          タイトルをつけるとするなら『罪と罰』 地球人と、見た目が瓜二つな地球外生命体が主人公。 彼は地球で罪を犯したことが原因で 自分の星に帰ることができなくなってしまった。 そこから、地球での"罰"の日々が始まる。 現代人が想像する いわゆる、刑務所のようなシステムは存在していなく ここでは どうやら、罪を犯した人に一人の一般人が メンターとしてランダムにあてがわれるらしい。 留学生がホームステイ先に滞在するような そして、 その"罰"の内容は それぞれのメンターに裁量が

          安らかに

          日常が、愛で溢れまくっている

          いやー、私はだいぶ変わったんだな。 先日、そんなことを ひょんなことから痛感することができた。 それは、ある友人との会話の中で。 最近、私には大切な人がいるんだけど 私:生まれてきてくれてありがとうって思うんだよね。何度か伝えてもいると思う。 友人:えー、キモっ 確か、そんな会話だったかな 別に 友人の反応に嫌気が指したりとか、全くなかった。 心から私を軽蔑する意での「キモっ」でないことは 彼との関係性から明らかだし、 むしろ別の、個人的な意味で、私の中では嬉し

          日常が、愛で溢れまくっている

          "問題"とは何か、私の解釈

          『それは"問題"ではなく、"課題"』 今回は"問題"というものに対する私のスタンスを 可能な限り、実態に近い状態で明示することを試みる。 当然だけど、これはあくまで"私"の暫定的な価値観であり、周囲に強要したいものでは全くない。 一つの価値観の表現として。 まず、この手のテーマだと "問題"という言葉の定義から始める必要がある気がするんだけど、 その前に、皆さんは上司や先輩に、 本chapterの表題『』のようなことを言われた経験はないだろうか。 私は結構ある。 そし

          "問題"とは何か、私の解釈

          大切にされるべきものが、当たり前に大切にされる世の中でありたい

          毎度、お花畑な私の解釈 "大切にされるべきもの"って 時代によって、属性によって、若干の"色"はあるかと思う。 ただ、本質的にはそんな変わらないんじゃないか てか、変わらんやろ って、私は思う。 日常をなんとなく過ごしていると、どうしても錯覚してしまう。 この日常が、明日も、1年後も、当然のように、永遠に続くんじゃないかと。 これは、仕事、家族。いろんな側面で、多面的に、ね 私はこれまでの経験からか (他)人より、ほんのちょびっとだけ、この当たり前のような毎日が 当た

          大切にされるべきものが、当たり前に大切にされる世の中でありたい

          私の自覚を遥かに超越して、きっと、莫大な愛を受け取っていた

          傍迷惑な私の性癖 以前、"親"という存在について、 自分なりの暫定的な定義を経て、 父について、あまりに簡単にではあるが、纏めを試みた。 記事の中で、もっと詳細に、"生(なま)"に到達することもできるだろうけど、 それはもう、マスターベーションの領域な気もするので 仮に、関心を持ってくれる人がいるのであれば、ぜひ、個別でお話ししましょう。 私はいつでも準備ができている。 迷惑極まりない話なのだが、 私は、みんなの "あまり公にできない(すべきでないという理性が働くような

          私の自覚を遥かに超越して、きっと、莫大な愛を受け取っていた

          "悲劇"で最期を迎えないために

          以前こちらのnoteの冒頭でも述べているが、"価値観"というものは、 親から受け継いだ先天的な性格に加え、育った環境等の経験から 後天的に形成されるものである。 まぁ、つまり 両親の性格は、子どもの価値観形成において 非常に大きな影響があるということだ。 ※大前提として、親に責任があるという主張をしたい訳では全くない。事実としてそうなるよねという話。 誰もが例外なく、遺伝的に両親が存在する。 人によっては"育ての親"が遺伝的な親と異なるケースもある。 纏めると 産み(先

          "悲劇"で最期を迎えないために

          なんだかんだ、鬱っぽかったあの時期が、今の価値観の大枠を形成してる気がする

          実は、鬱っぽかった時期があった なんかもう、だいぶ昔のことのよう。 いつかもあんまりはっきり覚えていない。 多分、20歳だったか、21歳だったか。 あれからまだ5年くらいしか経ってないんだ 半年間くらい 四六時中、質量を錯覚するほどの陰鬱な感情に 意識のほとんどを支配されていた。 当時の自分 表情終わってただろうなー笑 皆が寝静まった深夜だけが クソみたいな自分の存在を無条件に無視してくれる気がして 一生夜が続けばいいのに 朝よ、頼むから来ないでくれって 心から願って

          なんだかんだ、鬱っぽかったあの時期が、今の価値観の大枠を形成してる気がする

          私の"感動"のど真ん中

          感情の正体を、なるだけ解明し、汎用性高いものにしたい 2024年 私はこの世に生を受けてから26年を迎える。 これまで数えきれないほどの感情を経験してきた。 先祖から代々受け継いだ先天的な性格に加え、取り巻く環境から育んだもので後天的に微調整し、時には大きな更新を経て、今に至る。 自我が芽生えるよりも先に、(自然だが)数々の感情の経験を積んでしまっているが故に 多くの人が"感情"というものに対し受動的であり、 気付けば無意識の領域で処理しているものだと思う。 私は、ど

          私の"感動"のど真ん中