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嫌われる勇気では、専業主婦は仕事として認められている

遅ればせながら、嫌われる勇気を読んだ昨秋。

専業主婦に関して2箇所で言及されていた。

“経済的に優位かどうかなど、人間的な価値にまったく関係ない。会社員と専業主婦は、働いている場所が違うだけで、まさに「同じではないけれど対等」なのです。”

嫌われる勇気

“「仕事」とは会社で働くことではありません。家庭での仕事、子育て、地域社会への貢献、趣味、あらゆることが「仕事」なのであって、会社など、ほんの一部にすぎない。会社の仕事だけしか考えないのは、人生の調和を欠いた生き方です。”

嫌われる勇気

私は色々なことを「時代のせい」にすることも、そんな話を軽々している人に対しても毛嫌いするところがある。

私は妊娠中に好き好んで専業主婦になった。
幸い、夫もそれに異論はなかった。

親の不機嫌さや忙しなささの子どもへの悪影響は計り知れないことを実家で身をもって経験した私は、家庭が安定していることは人格形成に非常に重要なのだと子どもの頃から感じていた。
だから、私は親としてとにかく心と時間に余裕を持っていたいのだ。

息子は私から見る限り、心身ともにいつも健やかに穏やかに楽しそうに、時には壁にぶつかったりしながらも生き続けている。

充分だ。充分過ぎるほどに恵まれている。

今の時代は私が子どもの頃と違い、
結婚しても母になってもずっと、女性もお金を稼ぐ仕事をしていることが普通になっている。
「時代のせい」で私は肩身の狭い思いをしているなんて、つい思ってしまったりしてなんだか負のループに嵌る時がある。
結婚・出産を経ても女性も稼ぎがあることのメリットについては分かっているが、今回はさておき。

いつの間にか、専業主婦はかなりマイノリティになったようだ。
主婦、しかもワンオペ育児を連日していても、
専業は兼業よりも下に見られている空気まであるのではなかろうか。

こんな話をすると「気のせい」だとか「そんなことない」とか言う人もいることもさておき。

そんなこんなで、
私の理想が叶えられている今の状況であっても、
時に専業主婦であることが劣っているかのような自分が無価値なのではなかろうかのような感覚に襲われるのだ。

私には社会的に立派とされる学歴も職歴もないし自分軸で生きても来なかったことも、その原因と考えられるだろう。

そんなことも含めて、まるっと救われた“嫌われる勇気”。

もっと早く読めばよかった。
そして、今後も時々読み返そう。





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