文系域で何かを検討する(哲学レベル含む)際に我々が負わされてるいらぬ制約とその外し方(取り組む際の条件改善)について
2020-12-003
現世界でいらぬ不幸が生まれる直接的原因として財産権や主権や人権の使われ方(少なくとも、帰属の操作に相当するものの除去追求を反映した形とは言えない)があると思いますが、
既存権利観(各場の本質に即して割り振られた損得や役回りを支持してるしてない、という意味でのフェアアンフェアを区別しない類の保障観)が、未だ悪用される隙を塞いでない状態でもまかり通るのは、
近代以来のパラダイム(分離で得られる洗練への過大評価、同種の他との差異要素の捨象アプローチへの特化)が世界標準の知性や倫理を縛ってるからで、
そうした欧米的な知性や倫理が世界標準であり続けてるのは、教育する立場にある主体が近代の枠組みやその外に出る必要性を押さえきれてないから
(できるだけの事したが駄目だった的な確定性の高さも、確定性の低いケースと同じ扱いを受けるかのごとき地平な為、文系域での検討の精度にいらぬ制約がある、
この近代の内実不問傾向、特に主観への捨象アプローチの偏向性、に帰属するいらぬ不幸と、その再生産に関与し続けてる自分達の在り方に向き合ってくれないから)だろうと思います。
日本に限らず、教育が欧米的知性を前提にしてる以上、その流れで得られる知的権威は、既存のパラダイムに基本保守的であろうと想像されますし(もちろん、保守革新の権益対立枠組みも近代パラダイムの産物)、
実際、対権利も帰属の所在の振り替えが試みられるだけで、大枠は維持されるわけです。
他方で、自我(による割り引き)は無くせるもの的な(少なくとも、例えば、悩みや苦しみに対し過大だけでなく過小も排する的構造をしてない)イメージでもって既存パラダイムに対抗可能だろう的な発想は、
有限性を与件とする立場から見ると、引き受けるべきものを引き受けないという帰属の操作に相当するように思われます。
(限定を受ける前の何ら限定されてないものを限定化作用自体に極力反映させる、という文脈で対自我等も捉えるべきと考えます。)
つまり、割り引きのやむを得なさを問うのでなく、理想が割り引かれる事自体を咎める有り様(理想状態への一足飛びと表裏)は、対帰属操作においてはいらぬ飛躍の符号を反転させてるだけ(絶対値的には同じ)であって、
この種の勘違いは、自由という概念解釈や感覚にも見られ、哲学次元での取り組み(パラダイム対策含む)についてもある意味言えるのではないかと推測します。
有限性を与件(代替不可能で引き受けざるを得ないもの)とする限り、自由はいらぬ制約の有無の話にしかならないはずで、いらぬ制約
(場の個性が決めるところの表層的要素を、本質的要素かのように扱い、代替不可能要素が反比例的に埋没するという、事実上の振り回されなど)が自身に生じてるのに気にしてない状態のまま自由に関し考えを巡らせても、
気にすべきところをスルーしたりその逆(批判対象を取り違えた批判のパターン)が生じるのは明らかと思います。
哲学をする場合もその性質上、言わば、試験なりで残り時間が無くなって止む無く検討の精度を下げた的な事態に陥るのを如何に避けるかは、
準備段階の話(対外在の前に内在をできるだけ改善しておく作業の徹底、それ自身に対しその作業を展開してる形)と思われ、
検討の精度を下げる枠組みを負ってないほど取り組みにとって望ましいという話(わざわざ怪我を負いに行った上で怪我の下の最善プレーを誇ってる形の回避)の中に、
理想を犠牲にする程度が条件上の最小となるよう現実を成り立たせる能力(主題よりもそれが置かれる場の個性の方を先立たせる態度)、
より正確には、抽象化と具体化条件割り出しの精度を最大化させ続ける能力(捨象設定と各局面における確からしさ差に当たる差異とを合致させる能力)の獲得もあると捉えるべきかと思います。
その能力は、先の例(主題の絶対化の弊害)から見て、いらぬ飛躍への忌避が薄弱となる枠組み(知性使用の雑さ)の除去に当たる上、
言語を持たないや言語化しないや浅く広くでも言語化された情報求めない等は、言わば、実証実験なしで仮説を肯定否定する的な形骸性を避けられないと疑えるとか、
生活リズムの枠組み化をほどいて健康に悪影響あれば検討精度は間接的に落ちるだろうし、何日後何カ月後に何らかの予定があるといった枠組みからは逃れようにも生活上の限界があるとか、
そうした(脳へのインストール含め)避けられない枠組み避けられる枠組みの境界線を炙り出し、対象検討としての対外在の土台を改善するのに必要だろうからです。
そして、表層反転で解決できたとするセンス等の近代の枠組みの外に哲学すら出てない以上、まず哲学との距離の近い人からその能力の獲得に一旦遡ってもらう必要が、
(最終的な、いらぬ不幸を負わされない環境構築の為にも)あるように思います。