999文字、未来世代(もさらなる未来世代)に対して負うべき責任について、反映させる個々事情の限定条件をフェアとする立場(対市場や対民主制込み)から
2024-9-004
我々は置かれてる場に自身を通用させ続けるという存在課題を生命という形式の下でこなしており、
個体の細胞が入れ替わるように、個体の入れ替わりによる同一性変化性同時達成も、種レベルでの対応としてそれに含まれてると言えます。
また、人間という種は存在課題への対策として次元設定の自在性を追求してると推測します。
これが言える場合、今何が問われてるかを把握し、その把握に合わせて着目無視の設定を定める処理が機能してないなら、
例えば、足の速さが問われてる状況で、薬の効き具合や国籍の差異が序列付けに反映されてるのなら、スペックを生かし切れてない事になります。
つまり、アンフェアに対して修正余地を覚えるのは人間性の確保の現れに過ぎず、
理想を割り引いたものとしての現実という関係を踏まえ、理想を割り引く程度を最小にしつつ成り立ってる現実という内容の実存を志向する話の中に、
人間性の現実的確保も含まれてる(実存の無条件肯定を内容とする理念はこの確保を阻害してる)わけです。
個体の入れ替わり戦略は人間に限らないけれど、アンフェアに許容的な人やその実存(代替不可能な内外事情にしか応じない実存)を生きてない人が多いほどその時代は、
人間種を具体化条件に個体の入れ替わりを具体化する際の精度が低く、ここの精度を可能なだけ上げる事のみが未来世代に対する責任であると解し、
フェア志向な人を増やしましょう(フェア主体とアンフェア主体を区別せずに同じ資格与える権利概念使用の弊害も抑えられます)。
また、場の個別性に即した割り振りへの支持(および、この割り振りに寄せる内容の修正働きかけ)があっても、個別性の取り違え最小化がないなら、
そのフェア志向(内在場と外在場に関するこれを合わせたものである先の実存への志向)は形骸です
(自己の内面含め文系事象把握が実態露呈に留まる原因、市場や民主制の結果への絶対視が実態主義でしかない原因ともなる)。
なので、小学生後半には要求される客観視(主観に対する同種の他との差異要素捨象)と同格なものとして、
個別性の取り違え最小化(個別性に対する同種の他との共通要素捨象)の要求
(および、対象の見せる対自己に局面と着目無視の合致が含まれてるかどうかで対象を評価しつつ、
局面と着目無視を合致させながら他者に接する枠組みへの、対文系テキストの基本姿勢との位置づけ)を教育に組み込みましょう。
ご支援の程よろしくお願い致します。