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奪い合いな世界を保全する類の言動に与しない為に
2022-10-002
次善の策を余裕が生じてなお採用する過保護な人(逆に、余裕が無いのに次善の策を採らないケースは、現実切り捨て系のご都合主義)が、文系的な現象解釈を試みたところで、
自身にとっての都合の良さに合わせた加工を、最小に抑えられるとも思えませんから、
自身の文系的現象解釈を世に放ってたらどれだけ権威を付してようと、自身にとっての都合の良い状況への誘導、および、奪い合いな世界の保全でしかない言動扱いすべきと思います。
社会か個人かの上下論(もちろん、内面世界も場)に代表される、場に合わせる合わさないの二択な反応様式(場の疑似でない固有性にのみ合わせる方向性の埋没)も、
具体化精度への鈍感さという点では、上の過保護や現実切り捨てと同じですから、
都合のごり押しな現象解釈しかできない文系者として、搾取を(権威がどうであれ)警戒する対象の条件になるように思います。
また、自由観や平等観が、局面と着目無視との合致という、反応の対象を場の代替不可能な性質と整合させ、過大過小反応を抑える具体化精度保障な内容でない人にも同じ事が言えますし、
仮説と検証の関係は、具体化精度に鈍感であれば形骸化してしまう点を踏まえると、
文系的な具体化の精度に鈍感な人(文系的局面でも、同種の他との共通要素の捨象に十分さらされているいないの区別をつけない人)が、自他を尊重してると言い張ってたら、
自他の行動原理をより確からしいものにする生を阻害しない自由観や平等観が持てない
(いらぬ飛躍が有る疑似化形の行動原理に、自分が自分である限り仕方ない的ニュアンスをまとわせてると、負わせるに値しないものの受容強要でもある)わけなので、形骸扱いすべきと思います。
例えば、理系的な具体化精度は近代以降敏感になってる一方で、文系的な具体化精度については問題にもなってない、という傾向が言える知的空間の中に文系場もあるので、
欧米の文系産物を肯定否定する際、諸々の具体化条件が同種の他との共通要素の捨象を十分に経てるとは言えない
(場から受ける整合を、帰属の修正余地がないという意味で、負わせるに値する状態へと持っていってない)点を否定する内容が含まれてない場合、
その肯定否定は、場に合わせる合わさないの二択(このケースでは、不当合理と過剰特殊の二択)になってしまうわけです。
日本の教育も近代性を踏まえてますから、既存の文系教育における論理性への肯定否定にも同じ話が言えてしまい、
文系的な具体化精度の問題を押さえない限り(具体化精度最大化状態の反映形でなければ、
表層形が望ましいものであろうとなかろうと問題発生状態である、との問題観が文系的にも機能しない限り)、
奪い合いな世界にからめとられる構造があるようなものです。
(奪う側から奪われる側への転換をもって戦前に対する反省と捉えるのを許してきた戦後の教育の弊害が、最近露呈したわけで、
奪う奪われる現象の発生自体の否定対象化、当然奪う事が許される立場を認めない、
したがって、立場反転的センスも認めないそれをもって反省と捉え直すなら、
理系における実験精度への敏感さに相当するものを文系的にも獲得でき、都合も内在事情外在事情を先の捨象に十分さらす事で負わせるに値する内容へと持っていけるようにならない限り、
教育を通しての反省なり弊害ない乗り越えなりは、上の事情で事実上無理(注)と言えます。)
注、ハイデガー問題へのリベラル化やリバタリアン化による対応は、不当合理や過剰特殊による対応とも言い換えられるので、同じ構造が言えるはず。
なので、奪い合い次元に留まってないと見なせる条件として、知性や倫理が対都合をはじめ、帰属の修正余地のなさ
(有限の与件性、より確からしいものが取って代わる運動性、これらに帰属がある現象の採用)
の達成の為に用いられてる必要があるとの理解の下に、文系域の有り様を修正しましょう。
(例えば、好き嫌いのような選別も、賞罰のような報いも、場から与えたり受ける整合の話であって、
そうした整合現象が、帰属の修正余地の有無で否定肯定される有り様に、
対テキストでもその肯定否定ができる為に、テキストに含まれてる負わされるに値しない整合の有無まで理解可能な状況(注)に、文系域を持ってきましょう。)
注、実態把握、ひいては、相対主義である実態主義に留まる内容の理解力でも、現状では文系の知的上層になれてしまう。
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