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不当な主張が通ってしまう世界を変えるべく、まず、言語や論理を、競争協調や正義を、欧米の枠組みから解放してあげましょう
2019-7-007
論理学の義務教育化に関するスレへの投稿内容
自分が自分のそれを通してしまうのも含め、不当な主張(通用する領域が狭い理念の、提示や混入含む)が、
通ってしまう世界を変える(阻止に有効でない教育も)には、
欧米の枠組みがその整合にいらぬ限界を与えてると認めた上で、言語や論理、競争協調や正義を、
いらぬ飛躍の除去(通用領域の誤認を正す原理)と整合させる必要があると思います。
なのでまず、プラトンやカントの示した構造(理想と現実の分離)の解決は、
抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究によって為されるべきだった事、
アリストテレスやヘーゲルへの盲信や反動の原因がそこの不理解にある事、
特に、その追究の拡張(抽象と具体の行き来による確からしさの向上や確保)として、
運動性や歴史性、展開性が捉えられてない弊害が、論理性の検討にも響いてる事を認めましょう。
そうする事で、理解(対象についての、抽象と具体の関係構造を把握できた、確立できた感)に、
いらぬ制限を作る要素、つまり、抽象と具体の関係構造という枠組みで世界を捉えるに際し、
狭窄を生む要素(例えば、普遍と個物や実在についての議論関連)に引きずられるのも防げるはずです。
さらに、抽象と具体の関係構造を抽象化(本質抽出)させた、
通用領域の広狭と確からしさの相関、より確からしいものが取って代わる運動性、
この二つから成る、限定前(具体化前)の確からしさそのもの(無限性)である第一原理と、
何についての確からしさかという限定性(有限性)とのセットに関する、先の追究とその拡張の、
微視巨視関係(無限性の最大発現と有限性の与件理由)を、論理の前提にする事も可能になるはずです。
抽象と具体の関係構造を見出せるものはすべて理解の対象になるとすれば、
言葉は同種の差異付けという抽象物であり、
文脈により具体化されたり、抽象と具体の行き来により現時代性や文化性(の偏り)を得てる側面もある為、
理解の(コミュニケーション的問題解決と共進化する)優れたツールであると同時に対象です。
しかし、哲学(無自覚合意の厳密化や改定)すら上の狭窄が不可避で、先の最大限追究が基底でない現状、
追究の不十分な理念に、意見やその評価が引きずられてしまうのも当然と言えます。
理解力の実質と言える先の最大限追究と、
その場その場の代替不可能な固有性と着目無視(次元設定)の合致配慮は相補的関係ですが、
論理は既存の知識よりむしろ、この相補性が焦点と思います。
倫理の実質(問われてる事を違えないという存在戦略)と言えるその合致配慮が機能してるしてないと、
通用が全体(満たすべき条件)に行き渡っているいない(妥当非妥当)の感覚精度を結び付けて、
自他を評価すべきなのに、実際は、同種の他との差異要素の捨象と共通要素の捨象の内、
前者に特化(局面の差異を無視)した知性枠組みが幅を利かせてたり、
具体化条件(局面の性質)による加工(偏り)の妥当性を論点とせずに同一性や真偽が語られてます。
存在要件(己を置かれてる場に通用させる)に対する先の戦略と、
種や文化や個体に由来するバイアス(できるできないへの敏感さ)を合致配慮有りの偏りに抑える対応とを、
重ねるなどした上の結び付けをもって、論理性の検討を欧米枠組みの外にも開きましょう。
対紛争には正確な事実(各事情含む)把握の要請やルール制定の民主的手続きだけでは不十分であり、
価値や事実への態度についての、
有限性が与件であれ、どういう原理の下で生じた損失や不利益、喪失や限界に引き受けを限るかについての、
先の合致配慮を基底とした合意(配慮欠くなら参加不可、管理者失格等の、権利観の刷新含む)も必要です。
この理解を拡張し、先の相補的な両者を合わせたものとしての、場の本質にしか応じさせない処理を、
基底とした正義を秩序に反映させる方向で主張機会を悪用しにくい環境を築きましょう。
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