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2022-10-003

認識的な自由平等、実存的な自由平等、理系的な自由平等があるのでないかと考えます。
一つ目のそれらは、局面と着目無視との合致という、反応の対象を場の代替不可能な性質(その場で問われてる事としての価値)と整合させ、過大過小反応を抑える具体化精度保障な対自己や対他者を内容

(形式も含めて、場の上に置かれるものの有り様は、その場の疑似でない固有性と整合的である時だけ肯定されるという、
対内面世界も対社会もその一環とする、場の尊重を内容)にしてるイメージです。


三つ目のそれらは、同種の他との差異要素の捨象によって生じてる、個別性を特定できない事態が持つ、
匿名性や代替可能性や開放性等の自由側面、個別性に閉じた次元という不自由側面における前者であり、

その両側面は、同種の他との共通要素の捨象をもって成り立つ文系的自由不自由とは逆の関係というイメージである為、
会話等で客観なり数字なりが当たり前に登場するように敵対する必要はないけれど、
局面の要請に即してる限りにおいて受容するという条件付けによる防衛が必要に思われます。


二つ目のそれらは、各自が課されてる条件の下での上限である最善からの乖離が問題になってるイメージです。

対内在や対外在における、代替可能なものを代替不可能扱いする大騒ぎ系、代替不可能なものを代替可能扱いする見て見ぬ振り系、これらから成る過大過小反応によって生じてる、
内在事情外在事情の代替不可能な要素にしか応じない主体像からの乖離(帰属の修正余地の発生)と言い換えられるその乖離が、

無い状態は、理想を割り引く現実という理想現実関係における割り引き最小化を意味するので、

自己帰属の像(抽象化の精度不足によって取り違えてる可能性あり)が割り引きを受けてるという問題発生感に対する、上限としての問題解決でしょうし、
可能な上限である為、それ以上を求めるのは過大要求である一方、課されてる条件の差異によらず、そこまでは求める事が可能な平等要求の内容でしょう。



ここで、
リベラルを文系的局面に合わさない、理系的処理センスの領域侵犯の下での自由観であり、
リバタリアンを実存的な不自由を許しつつの自由観であると解せば、
認識的な自由平等を有していないが故に、それらに陥り、

近代以降の文系域が、
文系的局面でも理系的処理センスで話を展開してく(個別性への帰属の確からしさが問題になってる局面で、そこの確からしさ差異を捨象する)不当合理と、
その反動反発系(大騒ぎ系)、つまり、表層形反転でしかない(問題点はそのまま保存してる)過剰特殊との、

二択な反応様式パラダイム(例えば、対論理で)に縛られてる
(場に合わせる合わさないの二択は有っても、場の疑似でない固有性に合わせる選択肢は無い、この意味で具体化精度と関係のない肯定否定をもって社会をつくってきた)事もあり、

大して疑問を持たれる事もなく、弊害生むにもかかわらずそれらが影響力を持つまでになったとの推測も可能なように思われます。



実際、その二択も、局面と無関係に望ましい有り様を語る(外在事情の固有性の影響無視)という、
いらぬ飛躍を含んだ一般化に疑問を持たない、機能不全な知性の産物ですから、

利己と利他のどちらが先立つのか的発想(自己と他者をひっくるめた抽象次元から、局面次第で自己や他者が切り出される処理対応を持たない)や、

差別なり変化への過剰肯定過剰否定なり形骸な多様性なり、内実の確からしさ(特に具体化精度)を表層形に先立たせていれば防げるものを生じさせる、表層形への拘り
(表層形のみが問題になってる局面もある、というに過ぎないのに全面的に展開させてる)と同様に、
一つ目の自由平等と不整合に見えます。



ちなみに、有と無の差異をはじめとする有限性は、より確からしいものが取って代わる運動性としての無限性
(通用領域がこの意味で最大)から切り出されたもの(無限性が自己足るべく要請してるフィードバック対象)と見れば、

存在含むどの現象も、より確からしいものが取って代わる運動性がその受け皿(各場)の下で展開されてるだけと解せるように思われます。


つまり、行為も脳が何かをさせる云々以前にその内容から成る、場の性質の下の整合(選抜)の反映であって、
認識も上の運動性が採用観点の下で展開されてるだけ、

したがって、個別性が負う責任は、受け皿が上の運動性の帰結(実験精度がそうであるように、フィードバック対象に適うだけの具体化精度を持ってる)と言える形の個別性かどうか
(理系的局面ではここの差異は捨象される)だけと解せるはずです。


そしてその場合、責任を果たしてると言える為に、実存的自由平等の形骸性を抑える
(抑えられてる時の有限性形態を、できる事できない事の課されてる条件下での上限と見れば、認識上限への接近でもある)べく、

抽象化具体化の交互反復(歴史展開)において、抽象化具体化の精度最大化(通用が行き渡ってる状態を保存しつつの表層形変転)を齎してくれる、認識的自由平等が必要になってくる、

という関係構造を想像してます。

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欧米文系の権威性からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
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