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信頼に値する主体の要件について(経済肥大化阻止やポストモダン批判など、002の補強の側面あり)

2020-3-003

フェア志向でない人は、フェアな割り振りの帰結(場の疑似でない固有性の発現を阻害しないように立ち上がってる枠組みとしての着目無視の帰結)の受容に消極的であり、それは、
選抜がフェアである場合の、場(問われてる差異)と選抜結果との整合度の高さを踏まえると、

精度の高い実験結果を得られない的な生(都合の悪い実験結果は認めない的な都合先立たせによる精度放棄の為に、
行動原理を確からしくするフィードバックを自ら阻害してる)を意味するわけですから、

自身について現在の有り様を、現状これ以上望めない上限とは言えないはずです。


(実験の条件設定について場との整合度を小学生にも求めるようには、フェア志向という、文系的局面での具体化精度最大化に相当し、
通用の行き渡ってる状態を選ぶに値するものと位置付けるなら、世界からの主語の切り出しや主語の述語化という、言語処理の時点で既に求められてると言える、
また、求める事でプラトンはじめ既存哲学の主語述語観とも決別できるだろう、
抽象化具体化の不足縮減の意味での具体化条件付し直しの働きも内包するそれの獲得を、

教育に組み込んでない結果が、自身の専門であっても対象有り様の抽象化具体化の不足を指摘できない文系者の存在、


もっと言うと、そこの不足程度を対象有り様の、交互反復として見れば対象変化具合の論点にできないせいで、
表面なめす洗練でない、いらぬ飛躍除去そのものの意味での質確保に立ち入れず、
場の表層に合わせるのと場の本質に合わせるのとの間の、つまり、代替可能要素不可能要素の無区別や区別ができてるつもりなだけの勘違いはじめ、
質の高低の混同状況を、ひいては、質保有偽装の形で奪う余地を作る文系者、

例えば、歪んでいるいないを無視した愛推奨はじめ、内面世界での割り振り原理の疑似化具合不問な位置付けへの有意味扱いを真に受ける、
場を荒らす事へのそれが場の本質に合わせた結果かどうかと関係ない肯定否定を真に受けるなど、内実の確からしさ差異を区別できない人が、

食い物にされる時代を、そこの差異が混同状況にあるものでも知的権威の付加でもってまかり通らせる事により、
区別できず、ドーピングによる金メダル的なものを掴まされる人ばかり社会に送り出してきた既存教育と共に支えてる、つまり、排他的でなくとも搾取的ではある文系者、

ヘーゲルに対する修正点を統合対象の具体化精度差異の無視としてれば、プラトンアリストテレスを架橋したとも言えるガリレオ以降、
抽象化具体化の精度最大化、交互反復前提な価値対等化の下で、原理とその現れ含む全体部分関係の像刷新が展開されてる理系に、
追い着く事もできたかもしれないのに、対ヘーゲルを具体重視へと反転させるだけで済ませてきた実際の哲学の歴史に従属してるだけな形の文系者の存在であり、



その不足見落としぶりを指摘できない現在の知的空間、つまり、量的差異の大小だけで何かが十分に成し遂げられたつもりになってしまう地平の集積世界であると思います。)



ここで、フェア志向(場の上に立ち上がってる枠組みに対して形骸化阻止という内実確からしさを持たせる働きの対象に、着目無視を含める事)に対する忌避は利得への過大評価
(例えば、幸不幸のような表層形への評価が内実の確からしさへの志向に先立ってる、表層形断罪に疑問を持たない、
つまり、表層次元と内実次元との間の通用領域差異を取り上げない地平)に起因し、


獲得や喪失を、代替不可能な内在事情外在事情にしか応じない(当然に注力有り様はこの帰結となる)主体像と整合させる
(整合してない結果の主体固有性は疑似化されていて、通用の行き渡ってる選ぶに値する状態から疑似化によるいらぬ加工、いらぬ限定の分だけ乖離した、解放の必要な状態と見なす)事で、

つまり、代替不可能な有限性に帰属してるそれらをしか認めない事で、それらの肥大化、ひいては、利得への過大評価も抑えられる、
この仮説を採るなら、


その場における価値基準に照らして優れてるとの意でなく、あらゆる場においてその主体にとっての上限的な振る舞い
(例えば、できないという事態が内実の確からしさをもって生じてる)が期待できるとの意で、信頼に値する主体と言えるには、

上の主体像への志向に阻害を持たない状態(受ける扱いの良し悪しに振り回されない内実確からしさに当たるその主体像を、他者尊重や他者評価にも反映させる事で、
都合の押し付けに対し都合の押し付けで返す、そこの強弱から成る秩序への加担も防いでる状態)への近さが必要であるように思いますし、

例えば、余裕がある時(余裕ない局面での成立優先や量重視は場に即してる為、質棄損や過保護や固執とは見ない)の消費対象や投資対象にその主体像を
(それが望ましい表層形をしてなくとも)選ぶ人が増えれば増える程、経済の肥大化は抑えられてくと期待できるように思います。


なので、代替可能な有限性と代替不可能な有限性に扱い差つける(両者の混同状況、ひいては、已む得ないなどと後者を装った前者の負わされや負わせを防ぐ)試みを、
与件と言える有限性(内外境界)を問題発生と見なした場合の解決状態(選ぶに値する通用の行き渡ってる状態)と捉え、

信頼にその解決状態に繋がる対有限性(偏りも限定の一種)への支持(阻害の不支持)という内容を持たせるべく、
現象を代替不可能な有限性に帰属させる働きである先の主体像やフェアへの志向を、信頼対象として定めましょう。


(通用領域の広狭と確からしさとの相関に頼らない事には認識もできない我々が、
その相関にしか頼ってない有り様、その相関の持ち出しへの阻害を持たない有り様と言える為には、
どういう着目無視の下でその相関を持ち出すかに関しても、その相関を適用する必要があるとして、

通用領域判定の徹底が表層次元に留まったせいで、主体の固有性疑似化不問な前提化齎したデカルトを、超えない地平の時代との決別でもあるだろう、その確からしいとの認定に対する実質の確保は、

存在に関する具体化条件付し直しと共に個々具体として扱う事により、
実際に見られたハイデガー以降の、固有性の抽象化具体化の不足について不問なまま、したがって、対象有り様のいらぬ飛躍を正当化する、排他性否定を更新していった流れとは異なる、
具体化条件付し直しに関するより確からしい抽象具体関係構造を打ち立てる、という道が可能になると期待しますが、それはともかく、


上の信頼対象条件とも重なるわけで、上の信頼対象条件を対自己にも持ち込む事をもって、
フェアを越えた自他救済という、外在場の上に立ち上がるものの有り様をその場の性質に決めさせない、結局は都合の押し付け合い秩序の外に出ない凡庸な倫理をはじめとする、帰属の操作への加担を、
正当化するような側面まで自己の肯定に含まれてる混同状態の発生を抑えましょう。)

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欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
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