子どもの頃のわたしには思いつかないコミュニケーション
コロナになってよかったとは言いたくない。よく、はない。でも、一つ、コロナのおかげで、と思うこと。noteへの参加。去年の6月に、思いきって始めた。その時の気持ちは、ひと月たった頃、一度記事にした。
この街で知り合いになった人の多くも、わたしと同じように、コロナが後押しやきっかけになっていた。
note7周年についての記事を読んで、わたしは、21世紀や将来全般をSF映画のように思っていた、小さい頃を思い出した。
小学生のわたしは、21世紀になった時の年令を計算し、その数字におののいていた。そんな時まで、そんな年令の自分が生きてるなんて、(今から思うと、大した年齢ではないのだが)不思議な気がした。
そして、今。その頃のわたしが漠然と思っていた「未来」に生きてるんだなぁという気がする。小学生のときのわたしには、想像がつかないコミュニケーション、そして、できごと。こんな世界を指先で持てる生活。
感謝しないといけないことや人は、たくさんある。だいたい、スマホがそうだ。そして、とりもあえず、note。この街が7年も前からあったなんて、知らなかった。だいたい、なにもないところから、つくりだしたこと自体に言葉もない。
そして、その7年の間、街づくりの枠組みをととのえ、補修をし、人がいやすいようにしてくれている人がいたわけだ。ありがとう。見える人も、わたしからは見えない人も。ありがとうは、街の住人のみんなにも。私の立ち寄る界隈の人。行ったことのない近所の人たち。
わたしにも、まだ何かできるだろうか。ちょっとだけ、未来に参加。これからもよろしく、街にいるかぎり。街があるかぎり。
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