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「まち」に多様性と変化を許容する余白を|Additional#07

今回の記事(ポッドキャスト)はこちら。

公共R不動産のポッドキャスト「公共R不動産の頭の中」で、公共R不動産研究所2024年の記事を振り返り、浮かんできた3つのキーワード。

・トライアル/実験性・冗長性
・まちに開く/まちを変える
・日常的・ケア的視点

このうち「まちに開く/まちを変える」についてお話したいと思います。

2024年末からいよいよ多様性の危機が感じられる状況になり、ますます日本の公共空間は「多様性と余白」界隈に真摯に取り組む必要が出てきたのではないかという想いも持っています。

「まち」に多様性と変化を許容する余白を常設できないか?という問いへのヒントを探しながら、上記ポッドキャストで言葉足らずだったところや、そこから派生する話題に触れていきます。

『公共空間を地域に開くとは?』 - まちに関わりしろが増えること

ポッドキャストでは、松田研究員の書いた「公共空間を地域に開くこと」の記事に触れました。

これまで「公共空間をオープンに」と唱えてきた公共R不動産ですが、ではどんな状態であれば「開かれている」と言えるのか?「地域に開く」って何がよいんだっけ?とあらためて問い直そうとする記事です。

当初想定した利用者以外にも使えるように。日常的に使われないまでも、なんらか関われるように。地域に開かれ、自分と関係性のある場が地域に増えると、自己の幸福感や効力感に結びつくでも効用があるから無条件に開けばいいという簡単な話でもない。地域の人たちと積極的に結びつく「開く」もあれば、いつでも訪れることができますよという「開く」もある。誰にどのように「開く」ことが有効なのか。その役割や責任、負担は誰が負うのか。「開く」効用とのバランスは。

社会環境は変化して、当初想定した利用状況からさまざまニーズが合わないことが増えてきている。だからこそ「開く」ことをきっかけにして、ニーズのすきまを埋めるような動きが生まれてくることへの期待(あるいは必要)がある。背景にこうした事情がある以上、公共空間を「まち」に開いていく流れは当面変わらない。そう思います。

とはいえ正直、抽象論のままだと空中戦になりやすいテーマです。結論を出すことにこだわらず、さまざまな角度から模索する議論は議論として、ここから先は、具体例の中で解いていくものと思ってます。

『まちなかの卓球台の可能性』 - 目的にとらわれないまちの余白

先の記事ではあまり議論されませんでしたが、開き方には、当初想定した利用のしかた以外の利用もできるようにする、というものもあります。

「公共空間を耕す人々」をテーマにする内海研究員の『まちなかの卓球台の可能性/アートプロジェクト「PING PONG PLATZ」から都市の「遊び」を考える』という記事の中で、これを扱っていました。

屋外空間に卓球台を置いて、それをきっかけにいろんな人を巻き込んでコミュニケーションや現象を起こすという実験をしたアートプロジェクト「PING PONG PLATZ」に関するイベントレポートをもとに、公共空間におけるアードの可能性を議論しました。

まちなかに置かれた卓球台が、「卓球をする」という目的にとらわれず、いろんな行動を引き出す余白なっていく。まずはイベントとして仮設的にはじめるけれど、取り組みとしては常設化を目指している。「卓球台ならスポーツ振興目的よね」という短絡的な着地ではなく、あくまで卓球台が複数の目的を持ち合わせる、あるいは目的がないことを目的とするものとして、どのような位置付けであれば常設できるのか。それは「特区」的な規制緩和なのか、限られた期間のみ現出する「祭り」のようなあり方なのか。

そんなあれこれの議論の後半に、「常設化」の効用を示す大切なポイントに辿り着きます。仮設性の高い場所は、ニーズがなくなるとすぐになくなる。常設化されると、ニーズが変わっても継続され、結果的に他の時代に他の目的で役に立つ可能性もある。常設化には、ニーズに左右されすぎないという意味もある

内海さん PING PONG PLATZが見据える常設化には、ニーズに左右されすぎないという意味もあると思っています。僕がずっと調べている歩行者天国って仮設性が高い場なので、ニーズがなくなるとすぐになくなりがちです。例えば子どもの遊び場のために始めたけれど、子どもがいなくなったからやめましょう、というような。でも、常設化された交通規制があると、ニーズが変わってても継続されて、結果的に他の時代に他の目的で役立つ可能性もあります。例えば蓄積されてきた管理のノウハウや合意形成の仕組みが、防災や地域コミュニティの維持と役立っている、というような事例です。

内海研究員記事より

公共空間において、なくならないためには複数目的を重ね持つ、あるいはそういった余白のあることが、どうやら大切なポイントになるようです。

「まち」に多様性と変化を許容する余白を常設できないか

2024年末からいよいよ多様性の危機が感じられる状況になり、ますます日本の公共空間は「多様性と余白」界隈に真摯に取り組む必要が出てきたのではないかという想いも正直あります。どうにかしてこの目的が単一でない、暮らしの多様性が許容され、まち変化を許容する余白を常設的に確保することができないでしょうか。

硬直化した公共空間を開いていきたいというベクトルの記事と、公共空間の仮設的な利用の常設化を目指すベクトルの記事の二つをあげました。解像度は粗いですが、僕はこれらを「まち」に多様性と変化を許容する余白をいかに常設できるか?という問いかけのヒントとなる記事なのでは、と感じています。

もちろん事業的な経済性・持続性の面でも、地方自治の合意形成面でも、なかなか難易度の高いことなのかも知れませんが、関わりある具体例の中でトライしていきます。実験的に、漸進的に、戦略的に。

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