読書感想文: 山田 昌弘 「なぜ若者は保守化するのか-反転する現実と願望」 Part 1
初っ端なのでテスト投稿も兼ねて。
今回はこちらの一冊から。
2005年から2009年にかけて東洋経済誌に掲載された連載コラムをまとめた一冊。
小泉内閣時代の郵政解散総選挙から、その4年後の民主党政権成立直後の時期に書かれたコラムであることを念頭に置くと、著者の先見の明を感じる。
不寛容と分断、フェミニズム。これらの論点については10年経った今でも、同じ論点で同じ論争がネット上で交わされている。
例えば2008年12月6日号に掲載された「米国で『同性婚禁止』が争点に-多様性の高まりが不寛容を招く逆説」は、非白人のバラク・オバマがアメリカ大統領選挙で当選したことを受け、こう書く。
オバマ氏の当選は、一見するとアメリカ社会の多様性が認められたように見える。しかし同時に、同性婚禁止は自分と異なる価値観を持つ人々に対する不寛容が広がっているように見える。矛盾するようだが、実はこれこそが現代社会の特徴なのである。
先行研究を引用して、不寛容の広がりをこのように説明する。
「排除型社会」(洛北出版)で著名な社会学者であるジョック・ヤングは、現代社会(後期近代と彼は呼ぶ)で社会の多様化が深まると、他者に対する不寛容性がかえって高まることを強調している。キーワードは、「経済的不安定化と「アイデンティティ(自分が自分であること) の不安定化」である ニューエコノミーの進展などにより雇用が不安定になると、非正規雇用者が増えるだけでなく、正社員も不安を持つようになる。ヤングは、そうなると「下向きの視線」が生じると指摘した。「自分より劣る者が、自分より生活水準が低くても、自分より苦労していない生活をしているようなら許せない」というものである。正社員サラリーマンが、フリーターなどに厳しい視線を向けがちなのは、このように説明される。
そして不安定化したアイデンティティの確認のため、「排除」をして安心感を得ようとする、と指摘する。
一部方面で話題になった、こちらのコラムも同じ問題を違う切り口から指摘している。
なぜ「おっさん差別」だけが、この社会で喝采を浴びるのか
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65751
これらのコラムを並べてみると、これからの社会は「多数派の多数派による多数派のための社会」を目指しているように思える。
共通の敵をでっち上げ、一人でも味方を増やす多数派工作を巧くやるゲーム。
議会制民主主義とは椅子取りゲームの側面もあるが、かつての派閥抗争の側面が弱まって「寄らば大樹の陰」を地で行く烏合の衆しか、政治の現場に居ないように見える。
小川榮太郎
「政権与党の支持者らは民主主義における勝者であり、彼らが優遇されるのは当然。優遇されなければ逆におかしい」
この構造が社会全体を覆っている。
個々人のレベルでは、少数派としてハブられないよう空気を読んで多数派につき、権益のおこぼれにあずかることが保身術となろう。
※他の気になったポイントはPart 2以降で紹介しようと思う。