芥川賞「サンショウウオの四十九日」「バリ山行」読んだ

上記2作品が文藝春秋に掲載されたので買って読んだ。
あらすじ等は面倒なので書かない。読んで考えたことを書く。
まず「サンショウウオ」であるが、結合双生児という実際にはない形の双生児が主人公である。私は紹介記事を見てこの設定にけっこう期待を持ったのであるが、まあ女の双生児だから興味を持ったというのが正確だろう。
作者は医学士であり、古来、医学士の作家は(森鴎外、安部公房、魯迅……)けっこういるだろう。人間を生物の一種として学び、かつ精神に関しても学んでいるのだから、人間というものを総合的に把握して詳らかに描写できるはず……と期待してしまうのは事実である。
それはさておき、「サンショウウオ」は一点だけ光るシーンがあった。それは主人公(ら)が浴室の鏡の前にいて、一方の者が鮮血の幻影を見る、そもそも月経の血は鮮血ではないのでこれは錯覚だろうと気がつくのであるが、この作品の白眉といえるシーンであった。
この作品に文句を言いたいことは色々あるが、「瞬」と「杏」というそれぞれの名前がついている女であり、それぞれが互い違いに一人称「わたし」と「私」で語るんだけれど、語っている内容は大したことない。医学や宗教の本を読みあさったのでそれが記憶として浮かび上がったりするが、肝心の二人の人格はあまりはっきりしないというか、この人「たち」は別々の人格なんだろうけど時々融合しているようでもあり、別々ゆえに「私はこういう人間」とかって描写ができず、外見だけ見るといびつな感じの変わった人に見えるようなので、親しみも持てないし、この人「たち」が例えば一方死んだら一方はどうなるのかとか、問いかけはあるけれど、ちょっとこの作の中だけでは充分掘り下げられたとはいえず、消化不良である。
もっと普通に、姉妹として仲の良い部分とかもあるといいんだが、心温まるようなところはなく、人間の真の姿はこういうものだとも思えず、結局親しみを持てずこの人らのことはどうでもいい、という読後感になってしまった。
一応二回通読したし、この作について今後感想が変わることもなかろうと思う。やはり芥川賞を買いかぶっていたようである。

さて「バリ山行」は、「ヤマノススメ」を辛口にしたような話であり、ところどころスリリングで、キャラも立っており、面白く読めた。読んでいて展開のつながりに引っ掛かりを感じず、スラスラ読んだということだが、これは必ずしも良いこととは言えず、途中で止まっていろいろ考えさせられることはなく、まあこの展開ならこう進むだろう、と割とあっさり予想できてしまった。

二つの作品に共通して思ったのは、作者が仕事で知悉している事柄についてはしっかり詳しく書いているけれど、それ以外の部分は未熟であるということだった。そもそも私は十年来、日本特有の「純文学」にほとんど興味を失っている。存命の純文学作家で、今後も読みたいと思うのは南木佳士ぐらいであろう。
読む前は「サンショウウオ」に過剰な期待をしてしまって、単行本のほうを買おうかなとちょっと思ったのも事実であるが、まあ文藝春秋で安く読めて、「バリ山行」もついでに読めたので一応得したということになろうか。
この感想文を書く前に、ネットで一切の感想を読んでおらぬので、この文を投稿した後にゆとりがあれば感想文を読んでみようかと思う。

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