柴崎友香「寝ても覚めても」
まずは、「きょうのできごと」を大分前に買って読み、真紀ちゃんが可愛い、他の部分はどこが良いだろうかと振り返ってもあまり思いつかない。大学生たちが春休みに引っ越しの手伝いに集まり、酒を呑んだりゲームをしたり、というだらしない感じの会合場面が主なシーンである。とりあえず冒頭で、高速道路?を疾走する車の中から、光の見える描写があり、この作者は視覚的なものを旨く表現する作家だろうかと思った。
そして「寝ても覚めても」は2010年に発表され、2014年に河出文庫で出た。その頃にこれを買ったと思うが、なぜかあまり手を伸ばす気にならず(表紙イラストが地味だから?)、放置していた。しかし先日まず「きょうのできごと」を読み返し、さてそれほど名作なのだろうか、映像イメージは喚起するけれど……と思ったので、せっかく持っているのだから「寝ても覚めても」を、世上の評価はよく知らないけれど読んでみようかと決意したわけである。
この作品は地の文のテンポが良い。比較的短文で、視覚的な描写とか、あとちょっとした鋭い考えとかが挿入されて、主人公の「意識の流れ」を意識している文かなと思った(「ユリシーズ」の影響? とも思ったけれど私はユリシーズは昔和訳で一度読んだだけで、すっかり忘れてしまった)。だから文章としてはとても魅力があって、たといストーリーが魅力的でないとしてもこれだけで何らかの文学賞を獲るのは当然だろうなと思った。
ただ、ストーリーは結局、麦と新幹線で西に行くシーンは主人公の幻覚だったのか? と思ってしまう。解説を読んでも幻覚とは書いておらず、まあ麦は俳優として活躍しており東京の主人公宅を訪れたのも現実だろうし、だがどこまでが現実なのだろう、思い込みではないか? と少々戸惑ってしまった。
読破して、全体を振り返ると、主人公が自己中であり、恋に溺れるあまりに周囲を省みず没頭している、そして結末でも救いがなく無為な生活が続いていく、という感じで、当然主人公を好きにはなれなかったが、その夢心地な心理はよく理解できるし、幸せな結末にはならないのかなぁ、と思ったのも事実である。
先般「何者」を読んで、考えたことを記事に書いたけれど、今回に関しては特に考えたことはなかった。時間の無駄というほどではないけれど、なんだか主人公の空想に付き合わされた、一杯食わされた、という感じだろうか。柴崎氏の本には「百年と一日」というのが出ていて、掌編小説集のようである。ちょっと興味はあるけれど、掌編ならまずは川端康成「掌の小説」を読んでみるのがいいかなと思った。この本はやはり昔に買って積んであったのだが、結局読まずに売ってしまったのだ。まあ一冊の本がきっかけで作家や他の作品に興味が起こるのはいいことである。