こころが変容する(ほどのともだちと出会うこと)
久々に会った友人に「仕事どう?」と聞かれて、少し投げやり気味に答える。
「会社行くのだるくて。在宅勤務が多めでよかった」
「誰かに会いたくならんの?」
「全然ならない。誰にも会いたくない。一人で十分」「こんなに一人が気楽って思わなかった」
強がってると思われたのか、友人は見透かすように少し微笑んで言う。
「嘘。今の職場だからでしょ。〇〇は人が好きなのに」。
その目は慈愛に満ちている。
言われてハッとする。そうだったろうか。私より私のことをよくわかっている彼女が言うのだからそうなのだろう。確かにそうだった時代はあった。その時代の私は、私のカケラは、いまも私の中にいるだろうか。
人との別れが苦手だ。恋人と別れる以前に、ともだちや会社の同僚であっても、時が来て違う道を行くのはふつうのことだ。なのに、それにいつまでも慣れることができない。
人付き合いが苦手な人は、人との距離が遠いんじゃない。近すぎる人のことだって、どこかで聞いた。それで言えば私はまさに近すぎる側に入るのだと思う。一度心を交わした相手が、フェードアウトすることなんてない。
誰かと深く深く話をしたり、お互いに影響を与えるほどに心を交わしたら、私の中の一部分はその人の形に変容してしまう。その変容した部分は、その人が去った後にはぽっかりと穴が開いたままだ。誰かが代わりに埋めることはない。何かが侵食してくることもない。空虚の部分が増えるだけ。
私を人好きと形容した件の友人は、私と知り合ったときに驚いていたっけ。
「〇〇は、誰とでもまっすぐに向き合って付き合うんやね。だからそんなに深い関係になれるんだ。その付き合い方は素敵で、私には嬉しいことだけど、私が皆とそれをやろうとしたら消耗してしまう。」
そう、消耗しているのだ、実際は。いつもいつもそんな風に向き合うのは。私にとっては、過去にならない人がたくさんいて、そんなに多くは抱えられない。だから友達が何百人もいる人を見るとびっくりするし羨ましくもある。私にはそんな風に付き合えないから。
大事な友人がいる。彼女と会ったのは、言わば偶然の産物だった。
たまたま、日本人留学生が極端に少ない同じ大学に留学していた。彼女は複数の国の血を引くクォーターで、私のような「日本語しか喋れない」英語が拙い留学生ではなかった。英語もスペイン語も、そして日本語も流暢に操る彼女は留学生という扱いはされないほどその地に馴染んでいたけれども、日本の食や文化が大好きな彼女と、自然と一緒にいる時間が多くなっていった。
私の留学生活は彼女なしでは語れない。そのくらいお世話になったし、励ましてもらったし、助けて貰った。彼女には助けたなんていう意識はなかったかも知れない。けれど、彼女の持つパワーが、そうさせるのだ。
彼女のことを知ったら、誰もが彼女のことを好きにならずにいられない。パワフルで情に厚くて、離れていても家族の絆が強くて(彼女の家族は当時3カ国4カ所に別れて暮らしていた)、筋が通った彼女。
そんな彼女がどうして私のことを気に入ってくれたのか、私の作る学校の課題を褒めてくれたり、いつでも味方になって陰に日向に支えてくれて、私にとって本当に太陽のような存在だった。
卒業して何年も経ち、お互いを取り巻く国も環境も変わり、仕事や子育てに忙しい私たちは、そんな頻繁には会えなくなった。お互いの誕生日がちょうど半年ずつ離れているので、その誕生日に半年分の報告をまとめてするようになった。簡単なメッセージで会話が終わることも、そのまま長いラリーが続くこともある。私にとっては大切な半年ごとのコミュニケーション。
そんな彼女に子供が生まれて間もない頃、久々に会いに行った。あまりに久しぶりだったので、再会すぐの時間こそお互いに遠慮したり、あの頃の距離感を探るような感じがあったけど、すぐに前のように戻った。というより戻らせてくれた。彼女の輝きや、まっすぐさ、筋の通った強さ、眩さがそのままだったから。
あぁ、彼女は私が会っていない間も、ずっと彼女だったのだ。ただそのことが心から嬉しくて奇跡のように感じた。どこをどう切っても彼女。強くて厳しくて、誰からも愛される、人間としての真っ当さ。そのこと自体が嬉しくて、彼女が彼女で居てくれたことにただ感謝した。
会っていない時間をも愛おしくさせる、彼女の強さ眩さに、改めて憧れた。
ともだちとは。
会っていない時間も、その人とともだちであることを誇れること。
会っていない時間も、その人がただ生きていることを嬉しく思うこと。
この先、一体どれだけの、そんなほんとうのともだちに出会えるだろうか。
そういう存在に出会って、その人に心を変容されること、私は、それを心待ちにしているのだ。