みそ汁、ごはん、玉子で泣けた朝
目覚めたら、朝ごはんが出てきた。
作ってくれたのはアメリカ人の義息子だ。何十年も作る側の役目を担って生きてきたわたしはおったまげた。
ほんのりわかめの香りがするみそ汁と、炊きたてのご飯の上に玉子がのっていた。外は氷点下の寒さだというのに、みそ汁からたちあがる湯気を見たら、温かさと思いやりが身に沁みて涙がこぼれてきた。
みそ汁見て泣けたのは、はじめてだ。
涙ぽろぽろには理由がある。
わたしの37年半の結婚生活は夫の死によって幕を閉じた。それまで生きていた夫が息を引き取ったあと、葬儀屋さんが火葬のために夫を連れていき数日後には灰となって戻ってきた。アメリカのひどいコロナの惨状で葬儀もなしだ。
四角い箱に収まった夫の灰を前にわたしが独りとなるのは、精神的につらすぎるだろうし、死を受け入れて気持ちが落ち着くまではひとりぼっちはキケン。と娘や息子たちは心配してくれた。
「遺品整理や家の片付けもあるしわたしは大丈夫だから」と強がってはみたものの、ぼんやりと考え込んでしまったり、どこを見ても思い出ばかりが詰まっている家の中で、何を見ても泣けてくることはどうしようもなかった。いつも夫婦で寝ていたベッドの左側は空っぽ。そこでひとりで横たわるなんてたまらないかも……。想像しただけで震えた。
みんなの思いやりを受け入れ、娘夫婦の家でしばらく過ごすことにした。そして、娘の家で迎えたはじめての朝にでてきたのが、娘のダーリンが作ってくれた“ブレックファースト”ならぬ“朝ご飯”だった。
パンとコーヒーなら簡単なのに、みそ汁作って、ご飯を炊いてその上に玉子をのっけてくれた気持ちがうれしくて、うれしくて、夫に死なれた悲しみの中でみつけた最初のシアワセだった。
長年夫婦をしてきたが、昭和男の夫は一度だってわたしにみそ汁を作ってくれたことはなかった。昭和女で食事を作ることは自分の役目として暮らしてきたわたしにとって、「起きたらみそ汁とご飯が出てきた」というのはあまりの不意打ちで面食らった。
娘はまるであたりまえのように、ただ食べているが、わたしにとっては、ありがたくて、ありがたくて、温かさとおいしさが身に沁みて自然と涙がこぼれてきたのだった。
食べることはだいじだ。おいしいこともだいじだ。やさしさがたっぷり詰まった食事こそがおいしいと感じられる感性もだいじだ。
やさしさがおいしさとなり、しあわせとたのしさを運んでくることを実感した朝があったことをわたしはこの先も、ずっと忘れない。
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