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「陰キャ陽キャ」と言う「陰気」な言葉/ 陰キャを陰キャが応援する文章

※陰キャで非リア充な自分が、「陰キャ陽キャ呼び」を、それっぽく否定し、使い辛くする事が主目的な、「陰気」な文章です。
書き進める内に「陽キャ」と言う言葉にも、バカにするニュアンスが、込められている様に感じました。でも取り敢えずは「陽キャ、明るい」は良い意味として、否定する文章です。

ついでに言うと「非リア充」を最初は、非リアルが充実した人=ネットゲームや動画制作等で活躍し、学校や会社とは別世界で、活躍し充実する事だと思ってました。
当初は面白い言葉が生まれたと思いましたが、本来の意味を知り、平面的な考えに呆れ果てました。

「陰キャ呼びを考えるキッカケ」

普段見てる生実況配信の方が、自分は「陰キャ」だからと言っていた。それはそうだろうとも思うし、配信を聞く限りは余りそうは思わない。
その人は自身の昔の事を思い出して喋っている、昔は本当にそうだったのだろう。でもそのままなら、3時間もゲームや歌詞解説で話せる訳が無い。

この「陰キャ陽キャ」呼びは、今に始まった事では無く昔から有る。少し前は単純に「明るい、暗い」、更に少し前は「おとなしい(大人しい、音無しい)」のみだったと思う。

「大人に成るにつれ長所に変わる人は多い」

勿論全ての人が変わる訳では無いけれど、一つの特徴、長所として、人見知りや、大人しさが、軽減する人達は多い。
でも自分も、多分上に書いた配信者も、昔は結構気にしていたと思う。だからこその、私は「陰キャ」発言に成る。

ハッキリ言って、人の事を「明るくない、大人しい、陰キャ」と言うのは余りにも配慮が無い。だからタイトルに有る様に、この呼び方自体が「陰気」な言葉だと書きました。「真に陽気」な人は、こんな呼び方を絶対にしないと思います。

「逆説的に考えてみる」

明るい人は「明るい場、事」が好きだと言う人達が多い。と思う多分、、、
でも暗いニュースや、面倒な話しを少し聞くだけで暗く成るなら、その人は明るく無い。自分自身が明るいなら何処に居たって、気分は明るい筈。
この考えは相当昔に考えました多分20年程前、考え方のモデルは「自燈明法燈明」です。自分と仏法を灯りとして、生きて行きなさいと言う意味です。だからそれ以来、自分は「暗い」を褒め言葉として使っています。

「慎重に考えれば、大人しくなる」
              
前に、あるミュージシャンを見て「キチンとした暗さを持たない人達だ」と思った人達が居ました。その人達はその後炎上しました、自業自得とは思いませんが、弁明は全く良く有りませんでした。本当に悪気は無く、良くも悪くも無邪気なんだと思います。

暗さを持つ人達は沢山居ますが、明らかに暗く見えるミュージシャンとして、深瀬慧、山口一郎の2人を挙げます。(※敬称略。あくまでも1つの例です。最近はどんな感じの活動をしているのか、分かりません)
この人達が暗く見えるのは、深く暗い場所に居る=未だ明かされて無い、心の世界を1人探索して居るからだと自分は考えています。
地下迷宮の様な世界を、「音楽の灯火」と「自分という灯り」で探索する。本人自身に明かりが備わっていると考えるなら、居る場所の背景が暗く、本人は明るいと、考える事は出来ないでしょうか?

だからたとえ今、そう成れてなく、自信が無くとも、「陰キャ」にはその素質が必ず備わっている。
世の中の浅薄な明るい言葉に、騙されずに進んで行けば、必ず何かしら見つける事が「陰キャ」には出来る筈。自分はそう思ってます。


「書き終わって次の日」

多分読んだ人の中には上の2人と、お前は全く違うだろ、そう思った人が居ると思う。それはその通り。でも、そう思った人は下に「事大主義」の説明が分かり易く書いてあるので、自分の文章はどーでも良いから是非読んで欲しい。↓


書き終わって思ったのは、これは自分を応援する為の文章でした。結局、上の2人の様に成れてない自分に向けて書いている。わざわざこんな事をするのだから、成程自分は「陰キャ」だと思いました。


自分にとって遥か先の夢の境地ですが、更に自分に向けて言葉を1つ紹介して終わります。

「この世にどんなことが起ころうと、どんな時もいつも楽々悠々息しつづけよう。
そしてこの心ができた瞬間から、小鳥は楽しくさえずり、花は嬉しそうにき、風は爽やかに吹きすぎる。雲は白く、空は蒼い。黒い雲のむこうはいつも蒼い。」       野口晴哉



ついでに動画紹介

最初に書いた自称陰キャの配信者が歌詞を考察する「サカナクション/ さよならはエモーション」
そこに陰キャな自分が、厨二病を発症しながらコメント欄で、配信者と遣り取りしました。

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