あいたくてききたくて旅にでる 小野和子 PUMPQUAKES
山の中の集落へ歩いて行って、人と人との関係を築いて、「おはなし」を聞かせてもらう。
いわゆる民俗学の「フィールドワーク」ということなら、違うセオリーがあるのかもしれないけれど、そうした切り口とはちょっと違う彼女のアプローチだからこそ、切り拓くことができたものがあったのだろうと思う。
さまざまな先人の文献等も踏まえた上で、それでもその場所の空気や、人の歩んできた歴史のようなものを肌で感じ取ってきたことを伝える彼女の文章は、良い意味で生々しく、学問の材料としてだけの素材にはない説得力がある。
似た話、似た歌詞が、違う集落に残っているのは、物語歌、バラッドの世界でもよく見られることだけれど、そうした全体を見渡した時の傾向や相違等だけを論じるのではなく、聞いたひとつひとつ、語ってくれたひとりひとりについて足あとを留めようとするような語り口が印象的だった。
中でも印象的だったのは、教職でも研究者でもないある母親がくれた感想をキッカケに読み解かれる「山なし取り」の解釈。
単なる教訓話ではない、もっとどろどろした、時には人の心の暗いところに踏み込むような力があるのが、民話の特徴であり、魅力なのではないかと思う。
北の、山の言葉で「本当にあったことなんだよ」と念押しされながら語られる物語はそれぞれに、何らかの必然性があるのだろう、という気がする。
ちょっと怖くて目を逸らしたいのに、どうしても目を離せなくなるような惹き付ける力。
多分、筆者の小野和子さんもそういう魅力に憑かれて歩き続けたのではないかとふと思った。
語り継ぐということ、唄い継ぐということ。
人間ならではのその営みは、どちらもよく似ている。
そこに、ヒトだからこその何か、逃れられない業のようなものと一緒に、それらを少しでもうまくやり過ごしていくための知恵が振りかけられているのが、こういう文化なのかもしれない。
面白い。