【武器になる哲学】16 悪魔の代弁者ーあえて「難癖を付ける人」の重要性

悪魔の代弁者とは、多数派に対して、あえて批判や反論をする人のことです。

ちなみに、「悪魔の代弁者」という用語は、ここで紹介されているジョン・スチュアート・ミルの造語ではなく、元々はカトリック教会の用語でした。

では、その用語がなぜジョン・スチュアート・ミルと関連付けて紹介されるのか。ミルは著書『自由論』において、健全な社会の実現における「反論の自由」の大切さについて、繰り返し指摘しています。

ミルが『自由論』の執筆において目論んでいたのは、アダム・スミスが『国富論』において指摘した「経済分野における過剰な統制への拒否」を、政治や言論の分野において同様に展開することでした。

市場原理によって価格がやがて適切な水準に収れんするように、意見や言論もまた、多数の反論や反駁をくぐり抜けることで、やがて優れたものだけが残るという考え方は、優れた意見を保護し、尖った意見を排除するという統制の考え方と真っ向からぶつかり合うことになります。

これはつまり、あるアイデアの是非は、その時代におけるエリートの統制によって決定できるようなものではなく、長い時間をかけて、いろんな人々による多面的な考察を経ることでしか、判断できないということを示唆します。

多くの組織論の研究が、多様な意見による認知的不協和がクオリティの高い意思決定につながることを示しています。

ここで求められるのが「悪魔の代弁者」です。悪魔の代弁者は、多数派の意見がまとまりつつあるときに、重箱の隅をつつくようにして難癖を付けます。この難癖によって、それまで見落とされていた視点に気づくことで、貧弱な意思決定に流れ込んでしまうことを防ぐわけです。

昨今、本来であれば頭脳優秀な人材が集まっているはずの大企業が噴飯ものの不祥事を続発させていますが、このような局面だからこそ、私たちは重大な意思決定局面における「悪魔の代弁者」の活用について、もっと積極的になるべきだと著者は思うのです。

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