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香月泰男と立花隆 「生誕110年 香月泰男展」

練馬区立美術館でやっていた『生誕110年 香月泰男展』に行ってきた。

どんな展示かは こちらの方の記事をみてね↓

香月泰男といえば、
昨年亡くなられた立花隆さんが『シベリア鎮魂歌ー香月泰男の世界』という本を書いている。

立花さんは香月さんの足跡を追い、シベリアに渡り取材をしている。

その取材は、死後20年にあたる1994年の香月泰男の特番(NHK山口での放送)のためのものだったが、その放送が好評だったため、1996年にETV特集「立花隆戦争を語るー香月泰男のシベリア」という番組が全国放送された。

一部の人にしか知られていなかった香月泰男という存在が全国区になったのはこの放送があったからとも言われる。


「人間を押しつぶすような巨大な、人間なんかほんとうに無としか思えないような、そういうものすごく大きな自然の営みがいま現に我々のかたわらで進行しつつあるわけです。それに比較したときの我々人間存在の虚しさ、その虚しさの悟りみたいなもの」

立花隆『シベリア鎮魂歌ー香月泰男の世界』文藝春秋2004年刊

香月泰男の絵には、シベリアの美しくも厳しい自然への敬虔な眼差しと、人間たちの愚かさへの哀しみが込められている。

木内昇さんの小説の装丁に使用されている「神農」もシベリア・シリーズのひとつ。この短編集にこの絵というのはなんとも言えない妙味です。(内容とは直接の関係はありません)


ロシアのウクライナ侵攻を目の当たりにした今、第二次世界大戦末期のソ連の北海道分割案やシベリア抑留も他人事ではないという気持ちになる。また、彼の国のメディア規制をはじめ、ぱたんぱたんと世界が閉じていく音が聴こえてくるようだ。一方で、NHK山口で特番が放送された1994年という年が、1991年のソ連崩壊後の海外メディアへの寛容な時代であったこと、そして当時の日本のメディアの力が大きく元気だったこと、制作サイドに執念と信念があったということも言える。

(それから10年後の香月泰男没後30年のタイミングでは「NHK、朝日新聞をはじめとするメディアが似たような企画をたてて、現地取材を試みたのに、セーヤ収容所(注・香月がいた収容所)の跡すら発見できなかった。」と本にある。)

雲間を縫う、絶妙なタイミングで香月泰男という存在と作品が世に知らしめた意義は大きいと思う。なんといっても、いまこうして、香月のシベリア・シリーズを、東京で目にすることができるのだから。

「戦後50年を経て、シベリア抑留の生きのこりの方はどんどん少なくなってきます。シベリア抑留だけではありません。あらゆる戦争体験の記憶が我々の間から失われつつあります。個人にとっても国家にとっても、記憶は人格の一部です。戦争体験の記憶を失ったとき、日本という国家の性格も変わってしまうのではないでしょうか。香月さんの絵は、我々が忘れてはならない記憶とは何であるかを、戦後50年、没後20年を経て、なお雄弁に語っていると思います」
この放送が終わってから、すでに10年がたつが、同じことが今はより以上強く言えると思う。10年前には想像ですることすらできなかった、日本軍(自衛隊)の海外派兵がすでに行われ、それを推進した日本の首相が、今度は戦争放棄の憲法9条を改正すべきだと公言しはじめている今日、香月さんのシベリア・シリーズは、ますます輝きを増していると思う。
戦後10年目の戦争に対する社会の見方の変化に、あれほど怒った香月さんが、いま生きていたら、何といっただろう。
香月さんがもういない今日、我々はせめて、シベリア・シリーズを語り継ぐことだけはやめてはならないと思う。

立花隆『シベリア鎮魂歌ー香月泰男の世界』文藝春秋2004年刊

そう書き残した立花隆さんも、すでにいない。

↑ん?なんか高くない?



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