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【人生観・仏教】公共の福祉を害さない範囲で、自分に都合よく生きる🌟

あけましておめでとうございます!

気づくともう2025年、去年三十路になったかと思えば、あっという間に次は31歳になろうとしています。
マジで年々時間が経つのが早くなってる😇
ジャネーの法則によると、5歳児の10分と30歳の1時間の体感時間は同じらしい、、

30歳の節目ということもあり、自分の人生観についてまとめてみました。
以下に当てはまる人には、特に面白いと思ってもらえるかも。

  • 年齢近い人

  • 人生について考えることがある人

  • 何かと生きづらい人

  • 宗教(特に仏教)、哲学に興味がある人

「あらゆる存在は自分の心がつくり出したもの」、「万物には実体がなく、相互依存によって成り立ってる」、など若干スピってるけど興味深い内容に論理立てて触れたりもしてます。

読んでみて面白いと思ったら、ぜひスキをお願いします!

目次

先に人生観の説明、その後元となったインプットについて書きました。
インプットはほぼ仏教です。日本に古くから存在するし、やっぱり馴染みやすいのかなー
(ちなみに、自分は明確な仏教徒ではないです。初詣とか法事とか、日本人みんな無意識仏教徒だとは思いますが)


自己紹介

  • 年齢

    • 30歳

  • 仕事

    • フリーランスエンジニア

  • 鎌倉在住

    • 20代後半は渋谷・池袋に住んでいた

    • 30歳になり自然が近い所に住みたいと思って鎌倉に移住

  • 趣味

    • 旅行

      • 、、だったけど最近あまり行けてない😭

    • 筋トレ、スイミング

    • 最近はアボカドスムージー作りにハマってる

Xはこちら。(低浮上)
https://twitter.com/yagi_eng

公共の福祉を害さない範囲で、自分に都合よく生きる

逗子マリーナ

これが僕の現時点での人生観です。
要するに、「よそ様に迷惑さえかけなければ、自分の好きに生きていいんじゃね?」という考え方です。(多少語弊あり)

思い上がりかもしれませんが、この考え方で生きるようにすれば、少なくはない人が今よりちょっと楽に生きられるのではないか、と思ったりします。

「公共の福祉を害さない範囲で」

公共の福祉とは以下の通り。
改めてちゃんと調べると、「自分に都合よく生きる」という部分も含めて日本国憲法に少し内包されてるような感じもする。

社会共通の利益。日本国憲法は「生命,自由及および幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しないかぎり,立法その他国政の上で,最大の尊重を必要とする。」(第13条後段)とのべている。
しかし,現実には公共の福祉と個人の基本的人権とが対立する場合もある。

https://kids.gakken.co.jp/jiten/dictionary02500108/

単に「自分に都合よく生きる」だけでは世の中が殺伐とするので、この一文を加えています。

もし世の中が自分の都合だけを考えて生きる人だけだったら、互いの利害が絶えず衝突して、争いが絶えなくなってしまう。略奪、殺傷、戦争なんでもありになってしまう。極端な話、気に食わない人がいたら殺してしまえ、ともなってしまう。

なので、周囲の人や社会を思いやることは大事
こちらは当たり前過ぎることなので、特にそこまで深掘りはないです。

「自分に都合良く生きる」

仏教の唯識という考え方によると、以下の通りらしいです。

私たちが認識しているあらゆる存在は、自分の心がつくり出したものである

https://diamond.jp/articles/-/331500

自分が見て感じたものが世界であり、事物をどう解釈は全部自分次第、と自分は解釈してます。なので、1人1世界であり、あなたとあなたの隣の人が見てる世界は異なります。

だったら、何事も自分の都合の良いように解釈して、自分にとって良い世界を構築するのが生きやすくなるコツかなと。

ポジティブ思考とも言えますね。
例えば何かの事故にあって骨折してしまった時、「骨折した。最悪だ…」と思うか、「骨折で済んで良かった。死ななくて良かった」と思うか。
発生した事象そのものに良し悪しはなく、良い悪いの判断を下してるのは自分自身

また、世の中色んな考え方・主張がありますが、それらを自分に都合良ければ取り入れられる、というベース的な考え方でもあります。
キリスト教でもイスラム教でもビジネス書でも、なんでも取り入れられます。何かと競合したりはしないはず。

ただ、ある程度健全な心を持っている人を前提とした人生観かなとは思ってて、例えば、都合良いし他人に迷惑をかけないからといって、怠惰を貪って良いわけではないとは思います。

あとは当たり前というか、みんな既にやっている人生観でもあります。みんな日々ニュースやSNSで情報を摂取して、良いなと思ったものを取り入れて生活してますよね。

ざっくり説明するとこんな感じです。
以下、インプットや思考の過程、その他諸々について書いていきます。




書こうと思ったきっかけ

今回は4年ぶりのNote投稿です。
30歳という節目、年末年始で時間が取れたこともあり、今時点での自分の人生観を記事にしておこうと思い、この題材で書こうと思いました。
過去の投稿をたまに見返したりすると「あの時の自分はこんなことを思ってたんだなー」となったりして面白い。

ちなみに、「人生観について記事を書くぞ!」と思い立ってから、あれこれ内容を考え始めたわけではありません。
日々生きていく中で、自動思考というか、右脳というか、勝手に頭が考えてたことを整理しておくか、みたいな感じです。
特にここ数年は宗教、特に仏教に興味を持っていて、その辺をインプットとして色々悶々と考えてました。

旅行にあまり行けてなくて、現実世界より精神世界を探検するようになった、というのもあるかも。

仏教との馴れ初め

仏教は知人に紹介されたり、ちょうど同時期に聴いていたポッドキャスト「コテンラジオ」でも紹介されていて、興味を持つようになりました。
それから、仏教聖典や原始仏教典を読んだり、Youtubeで解説動画を観たりしてました。

勉強していくとわかるのですが、仏教は宗教というよりは哲学と言った方がしっくりきます。他の宗教みたいにある日突然神から啓示を受けたりするわけではなく、釈迦や過去の仏教徒の偉人が考え抜いて体系化された教えです。(どちらが良い悪いという話ではない。)

他人を害してはいけない理由

なんで他人を害してはいけないのか、を論理的に理解できてない節が自分にはあります🫠
もちろん、他人を害してはいけない(しようとも思わない)、道徳的・倫理的にもそうあるべき、と思っているし、争いは嫌いです。が、なぜ道徳的・倫理的にそうなっているのか、という部分を完全に解明できてないというか、、

自然界では、同種の中では基本的に弱い個体が虐げられ、弱肉強食で弱い種は強い種のご飯になる。なので、人間(の前身)も元々はそれが当たり前だったはずです。
ですが、徐々に大きな集団(社会)を形成する過程*で、他人を害して(略奪・侵略等して)生きるのではなく、社会で協調して生きるようになりました。

*一族 -> 村 -> … -> 国 -> 地球全体

道徳観があった方が秩序が守られ、統治がしやすいから浸透していった(させられた)のかなとは思います。宗教の政治利用とかがそう。

また、どこまでを社会(集団)とするか、というのもありますが。集団と集団の利害が競合すると、紛争・戦争が起こる。

あらゆる存在は自分の心がつくり出したもの

源氏山

一般的な考え方、少なくとも唯識の思想を知る前の僕の考え方としては、目の前の物や人間、発生する事象が世界であり、自分ではどうにもできないものだと思っていました。

世界(物や事象) -> 自分の五感 -> 自分の意識

とすると、最初の一番目だけが世界だと思ってました。
しかし、唯識の思想では以下のようになります。

世界(物や事象 -> 自分の五感でそれらを感じて解釈する) -> 自分の意識

つまり、世界とは単に外界そのものではなく、それを自分の五感を通して解釈して構築されたものなのです。
なので、自分が関与する余地が大ありです。

単なる思想ではなく、現代科学、神経科学の「人は外界そのものではなく、脳が処理したイメージを認識している」という考え方と似ています。

考え方は人それぞれでどちらが正しいとかはないですが、自分は唯識思想の方がピンとくるので、そう思うようにしています。これもまた「自分に都合よく生きる」。
ちなみに、唯識自体は「自分に都合よく生きる」ことを主張している思想ではないです。

映画マトリックスと通じる部分もあると思います。
内容うろ覚えですが、めちゃざっくり言うと、主人公ネオは自分が生きている世界は仮想世界ということに気づき、その仮想世界で超能力を獲得します。(自分で世界を書き換えている=構築)

なかなか最初はピンとこないかもしれませんが、興味を持った方はもっと色々調べてみると面白いかもしれません。
詳細は割愛しますが、唯識はただ「私たちが認識しているあらゆる存在は、自分の心がつくり出したものである」と主張するだけでなく、「人間の意識は8つに分けられる」など、色々興味深い思想体系です。

Wikipedia

世界の本質・真理を知り、真の安らぎに到達する

簡潔に羅列していきますが、仏教には興味深い教えがたくさんあります。

  • 全てのものは常に変化しているという諸行無常

  • あらゆる存在は相互依存によって成り立ってるという縁起

  • 永遠不変の「我」なんてものは存在しないという諸法無我

  • 全ての事物は本質的には空(くう)であり実体はないという空の思想、色即是空

特に縁起の教えは自分にとっては目からウロコでした。
「長い」ものがあるから「短い」ものがあり、「青」があるから「赤」があり、自分がいるから、その以外の人間もいるんですね。この世に完全に独立したものは存在しない。

ところで、無常とか無我とか空とか、自分が勉強し始めの時は結構虚しく聞こえるなー、と思っていました。

個人的には、仏教は以下のような教えだと解釈しています。

無明(無知)のまま生きてると人生は苦しみばかり。
だから修行してその苦しみから解放されよう!
そのためには執着・煩悩をなくそう!

なので、確かに一見虚しく聞こえる部分もありますが、その本質は、無駄なまやかしに囚われずに世界の本質・真理を知り、真の安らぎに到達するための物の見方・考え方なのかなと。よりピュアに物事を認識できるというか。

このあたり踏まえても、実体のないものに執着しても仕方ないので、せめて自分の都合良いように物事を解釈した方が気楽かな、という感じです。

信じれば救われるってホント?

仏教はざっくり分けると以下のようになります。

  • 釈迦が説いた初期の仏教を原始仏教

  • そこから大きく二つに分かれ、

    • 釈迦の教えに忠実な上座部仏教

    • 衆生(人々)の救済に重きをおいた大乗仏教

上記からさらに色んな宗派に分かれますが、大乗仏教の中には「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われると説く浄土宗、浄土真宗があります。厳しい修行が必要な上座部仏教とはだいぶスタンスが異なります。

少し前までは、唱えるだけで救われるなんて軽すぎる、ちゃんとした悟りに到達するためには原始仏教・上座部仏教的なスタンスが必要だ、と自分は思っていました。
が、今では自分に都合よく生きれば良くね?と思ってるくらいなので、ある意味「信じれば救われる」という浄土宗、浄土真宗に通じる部分もあります。

かといって、原始仏教・上座部仏教・他宗派を蔑ろにするというわけではなく、それらの重要なエッセンスをうまく取り入れつつ、自分の人生観を築くという感じです。

ちなみに、浄土宗、浄土真宗が軽い宗派というわけでは全くなく、当時飢饉とか色々な苦難があった中、衆生の救済を考え抜いてたどり着いた境地だと思います。

それにそもそも、唯識の思想では「私たちが認識しているあらゆる存在は、自分の心がつくり出したものである」なので、「信じれば救われる」と信じれば救われるのです。(小泉構文)

何を信じるかはその人次第

まんだら堂やぐら群

自分は仏教の教えのうち、どうしても腑に落ちないものがひとつありました。
それは輪廻転生の考え方です。
仏教は輪廻転生を前提として、人生は苦しみであるため二度と生まれてこないこと、つまり輪廻から解脱(離脱)することを目指す教えです。

え、前世とか来世とかあるん?人間の心・思考は脳の電気信号によって発生してるものだから、死んだらそれで自分という個体は終わりでしょ?、というのが多くの現代人の考えだと思います。(科学信仰)

仏教は論理でガッチガチに固めてある教えであり、縁起に基づきすべての教えの論理関係・根拠が明快な部分が、理系脳の自分に刺さった理由のひとつでもあります。
そんな中、根底の教えとも言える輪廻転生の考え方だけが、しっくり来ずに悶々としてました。

これは結構印象的な出来事なのですが、ちょうどその頃、近くのお寺で座禅会というのがあり参加しました。
そこで和尚さんに質問できる場があり、輪廻について腑に落ちてない旨を聞いてみると、やり取りの中で、「結局何を信じるかはその人次第」という話を頂きました。
一瞬「え、和尚さんがそれ言っちゃうんかい」とも思いましたが、その後色々考え直してみて、結局確かにそうだなと腑に落ちました。

そもそもいまだに人間は森羅万象の全てを解き明かせてるわけではないので、そこに対して無数の考え方があるのは当たり前です。輪廻もそのうちのひとつに過ぎないなと。

なので、自分は今でも輪廻転生については否定的な立場ではあります。
(集合的無意識あたりを知ると、類似した事象は存在するのかもなーとも思ったり。)

【補足】
仏教誕生の地であるインドでは、当時バラモン教という宗教が広く信仰されていました。輪廻はバラモン教の考え方でもあります。なので、その名残を継いでいそうです。実際に原始仏教典を読むと、バラモン教に言及する箇所が多々あります。

昔は科学が発展しておらず、死についても謎だらけだったと思うので、「悪いことをしたら地獄に行く」みたいなある種のわかりやすい脅しが、社会の統治に必要だったのかも、と思ったりもします。

執着をなくして、苦しみをなくす

先ほども軽く触れた、仏教の根源的教えのひとつです。
すべての苦しみの原因は執着なので、それがなくなれば苦しみもなくなる、というわけです。

短くまとめたかったのでこの人生観には入りませんでしたが、これも本当に重要な教えだと思っています。

過去の自分のモットー

「公共の福祉を害さない範囲で、自由に生きる」というのが元々の自分のモットー的なものでした。
元々自由が好きで、出身高校も自主自律が校是の自由な高校でした。

そのモットーを仏教をベースに、一般化・大衆化したのが今回の人生観です。

身の回りの障害を放っておいて良いわけではない

究極は自分の認識次第でどうにでもなりますが、身の回りの障害を取り除いた方が早いケースももちろんあります。
例えば、、

病気は病院に行く

例えばインフルエンザにかかったのに、「自分はインフルじゃない」と思い込めば、その人の世界ではその人はインフルじゃないかもしれませんが、現実的には辛いです。辛くないと思えば辛くないかもしれないけど。

そういう時、物理的障害がある時、はシンプルに病院に行って治療する(障害を取り除く)方が良いと思います。

心の健康を害する存在とは関わらない

パワハラ上司とか、ブラックな職場とか、性格が終わってる友人とかとは距離を置きましょう。

さいごに

材木座海岸

全部について深掘りすると字数がとてつもないことになるので、ここ数年の考えやインプットをダイジェスト的な感じで記事にしてみました。

究極、悪に傾くことがなければ何を信じるもその人次第なので、気楽に生きようという感じ⭐️

ほとんど人に話したことないので、他の人がこれを聞いてどう思うかはわかりませんが、結構共感できるものでしょうか?
(もし良かったら、コメントで教えてください!)

また、仏教について要点を羅列しているのでそれを元に色々深めて、自分の考えを確立していくと面白いかもしれません。

以上です!
少し長かったですが、読んで頂きありがとうございました。
面白かったらぜひスキお願いします🙌


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