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個別療育という「価値」について

この度、大阪市社会福祉研究第47号に論文を投稿いたしました。

タイトルは、

個別療育という「価値」について
~作業療法、自律神経、情緒への支援という視点からの考察~

です。

リンクは電子書籍で、スマホ、パソコンから閲覧可能です。

PDFは、「大阪市社会福祉研修・情報センター」のサイト内、中ほどにリンク先があります。
電子書籍はコチラから。

。。。福祉の研究論文は、アカデミックな論文とはまた違う趣があって楽しいですよ😉

なお、思いっきり身バレしますが、皆様の良識ある対応をお願いしますw

簡単に紹介しますと…

発達支援の一形態である個別療育というものを取り上げ、事例を通してその「価値」について考察しています。

作業療法の理論、そして自律神経、情緒の視点としてポリヴェーガル理論を採用して、仮説的な推論(アブダクション)の根拠としています。

いわゆる事例検討というより、事例の経過を重視して記載しています。

はじめは、自分の臨床経験のまとめのようなものとして書くつもりでした。しかし報酬改定があり、個別に行う支援というものが、どこか軽視されるような兆候を感じ取っていました。

もちろん、細かくいえば、個別に行う支援の重要性と、それを反映させた制度自体はきちんとあるようです。
しかし、私自身は、自分がこれまで取り組んできた個別療育というものを、否定されたような気持ちになりました。

自分がかかわる方々にとって、個別に行う支援は、確実に伝わっているし、必要なものであるという確信はあります。
私以外でも、個別に行う支援というものに携わる方々は、そんな気持ちをもたれていることでしょう。

しかし、前述の報酬改定の会議では、集団を対象に支援を行う立場の人から、
『集団を対象に行う支援の報酬と、個別を対象に行う支援の報酬を、同じにしてよいのか?』
『個別で行うよりも、集団で行う方がコストもかかり大変じゃないか』
などのような内容の意見が出た、とも小耳にはさみました。

もちろん集団を対象に行う支援を否定するつもりはありません。
しかしだからといって、集団と個別を同列にして語ることが妥当でしょうか?
集団で行う支援の視点のみで、支援そのものが語られること。
私はそこに憤りを禁じえませんでした。

私が所属する事業所は、保育園に隣接しています。
実はオープニングスタッフだったのですが、個別療育を実施する事業所ができるとなった時、そこの保育士さんの中から、
『個別?1対1で何するの?』
みたい声があったということを、間接的ですが耳にしました。

その時はまだ開設前でしたから、仕方がないとは思いつつも、憤りを感じたことを覚えています。

あれから10年。
そんな憤りが、再びよみがえってきたわけです。

個別で行う支援の良さは、利用している方も、携わる方も、両者をつなげてくださる方々も、それぞれに確信をもって感じていることでしょう。

しかし、その確信は、どこか個別的で、言葉にしにくいものではないでしょうか?
そんな、個別的で、言葉にしにくいものを、あえて文章化してみた。
それが、今回の論文となります。

本文にもサマリーにも書けなかった想いを、ここで吐露させて頂きました。

ぜひ、お読みいただければと思います。



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