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教科書達の憂鬱(最終回)



何故、勉強が好きな人と、嫌いな人に別れるのだろうか?
これは、根本的な問題である。教科書の分際で考える事では無いのかも知れないが、此処は避けては通れぬ道だと、僕は感じた。
教科書の名に掛けても!解明したい。

「ここは、私に任せなさい」と言わんばかりに、歴史君が偉そぶって言った。
見ると先程の原始人のページは閉ざされていた。

「我が国には、義務教育の制度がある。逆に云えば、我が国は、
全ての人々が、教育を受けられる権利を持っていることです。
教科書を無料で頂けるのも、その権利のお陰なのです。
しかし、教科書が無料配布になったのも、憲法が制定された、その年からではないのです。私達が子供達に無料で配られる様になったのは、昭和三十八年からです。戦争が終わって十八年も経ってからです。」と、流石に日本の歴史に詳しい。更に歴史君は調子良く言った。どこかの大学教授の様に。



「私達が、無料配布になったのは、ある女性の国会議員の提唱で始まったのです。
戦後、間も無い日本は貧しく、教科書も買えないぐらいに困窮し、その人達は、上級生の人のお古の教科書を、譲り受けていました。
その様な子供達を見て、可哀想に想い
一庶民である女性国会議員が、義務教育の間だけでも
教科書の無料配布を提唱し、決議されたのです。」

なるほど、この様な事があって、僕達は無料配布される様になったのかと感動を覚えた。
すると、倫理社会君が、歴史君を押し退けるかの如く、口を挟んできた。

「教育を受けられない国は、世界を見渡せば多くある。
教育を受けられる事に、子供達は関心を持たねばいけない。
親もその事を子供が小学校に上がる時に
真剣に教えるべきである。
また、教科書を無料で貰える事に子供達は感謝すべきであろう。
感謝があるのなら、僕達を大事にするし、落書きなどしない筈である。
先ずは心掛けを、変えて行く事が最初では無いだろうか?」
と、これが人の道と言わんばかりに、
倫理を説いてきた。

僕達の話合いを静かに聴いていた、美術の教科書が落ち着いた、上品な仕草で尋ねてきた。
「私達教科書が幾ら議論しても、教える先生方はどの様に考えられているのでしょうか?」
美術さんのおっしゃる通りである。
子供を教育する立場の先生方が、どの様に子供を教育するのか?
どの様な教育方針を持っているのかが、
最も大事である。

国語さんが、穏やかな口調で言った。

「学力の差が人間の能力の差と言う決め付けだしたのが、問題だと思うのですが?
学校に偏差値をつけて、各々の高校、大学を差別化する!
この事は問題だと思うのですが?」

科学君が、僕達を押し退ける様に、机の隅から出てきた。
「学力の高さと人間性の高さに相関関係がある筈は無い。
オオムの事件を見れば、一目瞭然である。
学力の差で人を差別し、勉強が出来ない人に劣等感を与える。
これが教育と言えるのであろうか?
せめて、義務教育の間は、子供達に差別が無く、勉強出来ない子であっても他の能力を発揮させ、劣等感の無い子供達を、社会に送り出す、そう言う教育を目指すべきではなかろうか。」
と、鬱憤を晴らすかの様に、強い語調で言った。



「そうだ!義務教育の間は、子供達に差別が無く、たとえ勉強が出来ない子であっても、他の能力を見つけ発揮させる教育こそ、本来の教育である」
と、哲学者の様に強く言い切ったのは倫理くん。
さらに倫理君は、演説した。
「子供達に格差をつけるのでは無く、万遍に幸せになる教育こそ真の教育。
これが義務教育の究極の姿であると私は信じる。」

僕は倫理さんの素晴らしい意見に、拍手を送りたかったが、
殆ど科学君が今、言った言葉である。

僕は倫理さんに

「では、どの様に子供達の教育をすれば良いのでしょうか?」
と、教えを請いた。僕と同い年だが、立派な意見を持つ人には、畏敬の念を持たねばならない。

 「私が想うに、義務教育の間は、難しい学問をするのでは無く、
さっき皆さんが言っていた様に、生活に則した、また役に立つ学問、知識を身につける事だと思います。
数学なら、四則計算が出来れば十分だし、暗算、算盤、電卓の使い方をマスターする事。これならば殆どの子供達が出来るでしょう。
英語君もそうですね。会話を中心に勉強し、英語の映画も字幕を観無くても見る事が出来たり、英語で歌が歌えたらもっと楽しくなると思います。」

それを、聴いていた科学君が、同調する様に、
「そうだ!僕の科学も難しい事はせずに、面白科学のデンちゃんみたいにすれば、ファンが増える。科学を楽しまなければいかんのだ。」
と、真剣に言っている。

音楽の女が科学君を見下す様に、
「私なんか、いつも楽しんでいるわよ。」と、かるーい発言。

その音楽の女を横目で観ながら、歴史君も言ってきた。
「歴史を学ぶ事は、人間にとって最も大事なのです。
人間は同じ過ちを繰り返してはいけないのに、繰り返す。
人間の歴史を学ぶ事は、その背景に何が有るのかを考えなければならないのに、歴史の年号を覚える事が歴史の勉強と誤解されている。悲しい事だ。」と、眉を顰め悲しそうである。

だが教科書の僕達が、教育の論議をしても何も意味を成さない。
何故なら教科書は、既に完成しているからだ。教育を考えるので有れば、教科書の作成者が考えなければなら無い。
それと教科書を審査するお役人が、どの様に考え、判断するのかが問題である。
そのお役人も、人間なのだ。

人間は、他の動物とは違って、自分を見つめ、反省出来るから、進歩があった。悪い所を変えて行くのが、人間である。

将来の教育を考えるのは、現在の子供達である。

現在の子供達に言いたい。
勉強は、つとめしいる と書く。
厳しのが当たり前なのです。
だから逃げないで勉強してもらいたい。
明日の日本の為に、明日の世界の為に。
差別社会を作るのでは無く国民一人一人が満足を得、道徳を重んじる社会を建設し、日本の文化を確立するのは、現在の子供達である。


まさに、「日本、格好良く!」を目指して。
現在の子供達に、頑張れ!と声援を贈りたい。

これが、私達 教科書の願いです!
            
            完

追伸。
この様な立派な事を書いている筆者も、子供の頃は、教科書に落書きしてきた一人でも有ります。

高校生の時も満足に勉強しなかった。
反省の意味を込め、この小説を書きました。

今頃、悔やんでも、後の祭りですが。

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