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「君の名は。」がもたらしたエモいという概念の転換点

ヤフルです。

最近、アマプラのレンタルで「君の名は。」を見てひどく感動したんですよ。最近というのは今記事を書いているほんの数十分前な訳ですが、ため息が出るくらい美しい風景と見てるこっちが恥ずかしくなるようなボーイミーツガールの青臭さ、ラッドウインプスの綺麗な楽曲、100点です。映画館で見た当初大学4年生で就活中だったのですが、ちょうど1番心がセンシティブだったあの頃のうちに見れて良かったなと感謝してもしきれません。ありがとう新海誠・・・

新海誠の映画といえば、前述したようにため息が出るような美しい背景が特徴的ですね。限りなくディティールが描き込まれた背景は物語に身悶えするようなリアリティを与えてくれるわけで、「ジオラマのように偽物であると分かっているのに本物のように見えるギャップ」と言うふうに無理やり言語化できるんじゃないかと思っています。「エモい」と言うやつです。

今回は君の名は。効果でエモいという言葉の意味がひん曲がってしまったんじゃない?という話をします。覚悟してください。ああ?コラ。

2016年の流行語大賞ノミネートに「エモい」という言葉が入っているのをご存知ですか?君の名は。公開が2016年8月なのですが、それ以前はエモいって言葉をJKがホイホイ使う場面はほとんど無かったんじゃないかなとおもいます。

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僕は以前noteで「エモに殺される」というエモの意味合いが変わった事にひどく落胆する記事(の下書き)を書きました。もう1年前かよ。その中でこんな文章を綴っていました。

エモの語源を辿ると、音楽のエモ・ハードコアに該当する感情を揺さぶられる(?)感覚がルーツだったような気がします。マイナーキーでボーカルの声がやたら高いアレです。お前ら大好きだろ?
お前らみたいな奴が中学でミクシィのアカウント名に@OORerとか付けたり、ツイッターで意味ありげにワンオクの歌詞ツイートしてたんだよ、悔い改めろ。

当初は音楽ジャンルの一つであったエモいが全く違う意味合いに変動していくことにただムカついていただけでしたが、「なぜ変わった?」というところまで腹落ちしていませんでした。それが今回君の名は。を見て完全に合点がいきました。

日常の抽象化は感情を揺さぶる

エモい写真やイラストには「日常にあるかもしれない」という世界に対する淡い期待が込められている共通項があります。多分これはFFのCGみたいに独自の世界観を構成しているものとは根本的に異なる、ゆるいセル画のような日常からの脱却を奥底で望んでいる感情を無理矢理呼び起こされる感覚。あれがエモいという言葉の正体だと思います。

新海誠作品の作画はその辺りの弱いトコを突っつくのが絶妙に巧くて、冴えないオタクも怖いもんなしのギャルも映画を見終わった頃にはこんな世界もあるんだ・・と涙ポロポロしちゃう訳です。

そもそも冴えないオタクくんは秒速5センチメートルや言の葉の庭で日常への期待攻撃をモロに受けているので「エモい」という言葉を生み出す一歩手前まで来ていたが、君の名は。大ヒットで視聴層が爆増したので、ギャルたちが言語化する役割を一気にかっさらってしまいました。これが事の真相です。

当たり前だ、世界を動かすのはいつだってギャルなんだから。お前らオタクくんじゃない。

そういうわけで、2016年の君の名は。大ヒットをきっかけにエモいという言葉が変わったよという話をしました。ソースはないです。あんまり俺をいじめないでください。


そんじゃみんな、、、、コロナで世界がぶっ壊れても、生きてまた会おうな!(締めの文章マジで下手くそマン)

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